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ロエベ LOEWE 辞典
LOEVE公式サイト ロエベ ネットショップ LOEWEの歴史 ~革工房から王室御用達ブランドへ~ 1846年 スペインの皮革職人が数人でマドリードにレザーグッズを取り扱う工房を立ち上げる。 1872年 <LOEWEブランドとしての立ち上げ>ドイツ職人のエンリケ・ロエベ・ロスバーグがこのスペインの工房を訪れた後にその製品の素晴らしさに感動し、自身の名前を冠したハウスを立ち上げ、パートナーとして共に働くようになる。 170年近い歴史の重みは世界でも指折りです! 1892年 流行の発信地と呼ばれるマドリードのプリンシペ通りに店舗併設型の工房である「E.ロエベ・ブティック」をオープン! 1900年代のロゴには、E. LOEWEの文字が↓ 当時のスペインでは商品を陳列する店舗は珍しく大きな話題を呼び、全ての製品に「Leather Goods Factory(レザーグッズファクトリー)」というエンブレムが刻印され、今ではアマソナを筆頭にロエベの顔となっているハンドバッグの製作もスタートしました。 中央のロゴがLeather Goods Factory↓ 1905年 <スペインブランドの最高峰へ>当時のお得意様でスペインを代表するセレブリティであったコンキスタ公爵夫人によってスペイン王室に紹介され、独創的で高い品質を誇るロエベ製品が気に入られ、アルフォンソ13世から王室御用達の称号を授かります。 ~店舗にはDiorやChIoéが並んでいた!?~ 1910年 バルセロナに2号店をオープンしたのをきっかけに、スペインの主要都市に続々と店舗を展開。 1939年 マドリードのグランビア8番地にて、グラン・ビア店をオープン。ブティックの建設には、高名な建築家が携わり、高級感のある半円形のショーウインドウが洗練されていると評判に 自社工場も建設し、高い品質とオリジナリティによってスペイン国内で絶大な人気を誇るブランドとなっていましたが、店舗ではLOEWE以外のブランドも取り扱っていました。 そこには、Christian DiorやChloé、CHARLES JOURDANといった今でもハイブランドとして一線で活躍するハイブランドがロエベのショップに並んでいて、まさにハイブランドのセレクトショップのような立ち位置でした。 #1985年には、なんとLOUIS VUITTONの販売権も獲得していることから、LOEWEの店舗はそれほど評価が高かったことが伺えます! 1945年 ペレ・デ・ロサスがデザインしたボックスカーフのバッグは、後に定番品の1つとなる。ゴージャスで夢のあるディスプレイも話題に。 この時代のLOEWEは最高級ブランドとして、ヨーロッパ全土にまでその名を轟かせ、各国のセレブが訪れており、ラグジュアリーブランドとは切っても切れない縁のあるモナコ公国妃グレース・ケリーも顧客リストに名を連ねていました...
ロエベ LOEWE 辞典
LOEVE公式サイト ロエベ ネットショップ LOEWEの歴史 ~革工房から王室御用達ブランドへ~ 1846年 スペインの皮革職人が数人でマドリードにレザーグッズを取り扱う工房を立ち上げる。 1872年 <LOEWEブランドとしての立ち上げ>ドイツ職人のエンリケ・ロエベ・ロスバーグがこのスペインの工房を訪れた後にその製品の素晴らしさに感動し、自身の名前を冠したハウスを立ち上げ、パートナーとして共に働くようになる。 170年近い歴史の重みは世界でも指折りです! 1892年 流行の発信地と呼ばれるマドリードのプリンシペ通りに店舗併設型の工房である「E.ロエベ・ブティック」をオープン! 1900年代のロゴには、E. LOEWEの文字が↓ 当時のスペインでは商品を陳列する店舗は珍しく大きな話題を呼び、全ての製品に「Leather Goods Factory(レザーグッズファクトリー)」というエンブレムが刻印され、今ではアマソナを筆頭にロエベの顔となっているハンドバッグの製作もスタートしました。 中央のロゴがLeather Goods Factory↓ 1905年 <スペインブランドの最高峰へ>当時のお得意様でスペインを代表するセレブリティであったコンキスタ公爵夫人によってスペイン王室に紹介され、独創的で高い品質を誇るロエベ製品が気に入られ、アルフォンソ13世から王室御用達の称号を授かります。 ~店舗にはDiorやChIoéが並んでいた!?~ 1910年 バルセロナに2号店をオープンしたのをきっかけに、スペインの主要都市に続々と店舗を展開。 1939年 マドリードのグランビア8番地にて、グラン・ビア店をオープン。ブティックの建設には、高名な建築家が携わり、高級感のある半円形のショーウインドウが洗練されていると評判に 自社工場も建設し、高い品質とオリジナリティによってスペイン国内で絶大な人気を誇るブランドとなっていましたが、店舗ではLOEWE以外のブランドも取り扱っていました。 そこには、Christian DiorやChloé、CHARLES JOURDANといった今でもハイブランドとして一線で活躍するハイブランドがロエベのショップに並んでいて、まさにハイブランドのセレクトショップのような立ち位置でした。 #1985年には、なんとLOUIS VUITTONの販売権も獲得していることから、LOEWEの店舗はそれほど評価が高かったことが伺えます! 1945年 ペレ・デ・ロサスがデザインしたボックスカーフのバッグは、後に定番品の1つとなる。ゴージャスで夢のあるディスプレイも話題に。 この時代のLOEWEは最高級ブランドとして、ヨーロッパ全土にまでその名を轟かせ、各国のセレブが訪れており、ラグジュアリーブランドとは切っても切れない縁のあるモナコ公国妃グレース・ケリーも顧客リストに名を連ねていました...
ジバンシィ GIVEHCHY 辞典
ジバンシィ公式サイト ジバンシィ ネットショップ ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)1927年2月21日パリ、ボーヴェ生まれ。父は侯爵の称号を持つ貴族家系の出身で、バレンシアガに憧れてファッションの世界に進む。 ロベール・ピゲ、ジャック・ファットのメゾンを経て修行を積み、エルザ・スキャパレリのモデリスト兼主任になる 1951年 初のコレクションを発表、資金の問題もありシンプルなコットンを素材のドレスやブラウスを発表した。 開襟の「ベッティーナ・ブラウス」、「セパレート」、ワイシャツ地で作られたドレスを発表し、その前衛的な感覚が衝撃を与え、24歳で「モードの神童」と呼ばれる。 1952年 自身のブランドジバンシーを設立 GIVENCHY SACS ロゴ チェック柄スクエアショルダー(黄) 1954年 ジバンシィの象徴的存在であるオードリー・ヘップバーンの映画衣装を手がける。「麗しのサブリナ」、「昼下がりの情事」、「パリの恋人」、「ティファニーで朝食を」、「シャレード」、「パリで一緒に」、「おしゃれ泥棒」、「華麗なる相続人」など多くの衣装を担当。 1955年 「自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。 1956年 レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。 1957年 パルファム・ジバンシィ設立。初のフレグランス「De」発売。61年にはメンズ・フレグランスもスタートする。ジバンシィの香水「ランテル ディ」は、ヘップバーンが「私以外は使わないように」と語ったことから「ランテルティ(禁止)」と名づけられた。 1968年 プレタポルテの「ジバンシィ・ヌーベル・ブティック」を開設。インテリア、香水など多くの部門を持ち、78年にはデ・ドール(金の指ぬき)賞受賞(82年に2回目のデ・ドール賞受賞) この頃、三宅一生がジバンシイのアシスタントになる。 1973年 メンズライン「ジェントルマン・ジバンシィ」をスタート。 1973年 メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。 GIVENCHY オクタゴンGロゴビジューネックレス(ゴールド) GIVENCHY チェック柄レザーがま口ハンドバッグ(ボルドー系) 他 ジバンシィ(Givenchy)の年表 GIVENCHYのネットショップ...
ジバンシィ GIVEHCHY 辞典
ジバンシィ公式サイト ジバンシィ ネットショップ ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)1927年2月21日パリ、ボーヴェ生まれ。父は侯爵の称号を持つ貴族家系の出身で、バレンシアガに憧れてファッションの世界に進む。 ロベール・ピゲ、ジャック・ファットのメゾンを経て修行を積み、エルザ・スキャパレリのモデリスト兼主任になる 1951年 初のコレクションを発表、資金の問題もありシンプルなコットンを素材のドレスやブラウスを発表した。 開襟の「ベッティーナ・ブラウス」、「セパレート」、ワイシャツ地で作られたドレスを発表し、その前衛的な感覚が衝撃を与え、24歳で「モードの神童」と呼ばれる。 1952年 自身のブランドジバンシーを設立 GIVENCHY SACS ロゴ チェック柄スクエアショルダー(黄) 1954年 ジバンシィの象徴的存在であるオードリー・ヘップバーンの映画衣装を手がける。「麗しのサブリナ」、「昼下がりの情事」、「パリの恋人」、「ティファニーで朝食を」、「シャレード」、「パリで一緒に」、「おしゃれ泥棒」、「華麗なる相続人」など多くの衣装を担当。 1955年 「自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。 1956年 レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。 1957年 パルファム・ジバンシィ設立。初のフレグランス「De」発売。61年にはメンズ・フレグランスもスタートする。ジバンシィの香水「ランテル ディ」は、ヘップバーンが「私以外は使わないように」と語ったことから「ランテルティ(禁止)」と名づけられた。 1968年 プレタポルテの「ジバンシィ・ヌーベル・ブティック」を開設。インテリア、香水など多くの部門を持ち、78年にはデ・ドール(金の指ぬき)賞受賞(82年に2回目のデ・ドール賞受賞) この頃、三宅一生がジバンシイのアシスタントになる。 1973年 メンズライン「ジェントルマン・ジバンシィ」をスタート。 1973年 メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。 GIVENCHY オクタゴンGロゴビジューネックレス(ゴールド) GIVENCHY チェック柄レザーがま口ハンドバッグ(ボルドー系) 他 ジバンシィ(Givenchy)の年表 GIVENCHYのネットショップ...
オールドフェンディ OLD FENDI 辞典
フェンディ日本語 公式サイト オールドフェンディ ネットショップ 高品質なレザーやキャンバスが魅力。スタイリッシュで洗練されたフェンディのアイコニック「ズッカ」「ペカン」のデザインは現代も受け継がれ、リバイバルされています。職人技と遊び心が融合したイタリアンモードの真髄。時代を超えてファッション感度の高い人々を惹きつけます。 創業者 FENDI 1925年、エドアルド・フェンディとアデーレ・フェンディとアデールのフェンディ夫妻がイタリア・ローマで創業した毛皮工房を併設した革製品店としてオープン 夫妻は、ハリウッドで流行していた毛皮の襟巻きに着目し、毛皮のコートを売り出したことで大成功。以来、イタリア人女性にとってステイタスを象徴する存在となりました。 従来の毛皮製品の常識を覆しながらも、品性を兼ね備えた、ファッション性の高い製品はフェンディの代名詞とされています。 FENDIの歴史 1965年、名デザイナーであるカール・ラガーフェルトを主任デザイナーへと迎え入れる。 エナメル加工など様々な技法を取り入れた革新的なデザインが話題を呼び、当時のクラシカルな毛皮のイメージを一掃しました。 1969年、カールはフェンディでコートの裏地として採用していた「F」を組み合わせた柄を表側に使い、ここからブランドアイコンの「ダブルF」が誕生します。 それが今なおフェンディで根強い人気を誇る「ズッカ柄」の始まりです。 ズッカ柄 Zucca ズッカ柄(Zucca)。ズッカ柄は「FENDI」の「F」を上下交互に敷き詰めたデザインで、二つのFが重なり合うようなロゴが等間隔に並んでいます。 ダブルFのデザインは、フェンディのFではなく、「”Fun Fur”=ファーを楽しんで!」という意味が込められています 一目でフェンディとわかる大胆さとスタイリッシュな雰囲気があるズッカは、90年代に登場してから現在までブランドを代表するモチーフでいつづけています。 ちなみにフェンディはほかにも、ペカン柄やズッキーノ柄も有名モチーフとして知られています。ズッキーノ柄はズッカと同じく、Fを上下に組み合わせたロゴですが、ズッカのFを一回り小さくしたデザイン。細かくFが並んでいることで、ズッカよりも繊細で女性向けの印象のモチーフです。 ペカン柄は基本的に縦のストライプ模様で、フェンディのモチーフの中でも落ち着いたシンプルなデザイン。ストライプと言ってもかなり幅に太さがある縞模様が存在感バツグンで、個性を主張できる柄でもあります。 >>ヴィンテージ フェンディ ズッカ柄 在庫<< 頭文字であるFを刻印したズッカ柄は、一目でフェンディと分かる存在感とシンプルかつラグジュアリーなデザインで、瞬く間にブランドのアイコンとして定着しました。 70年代のOLD FENDIは、このズッカ柄がほとんどで、キャンバス生地×本革のカーキブラウンと黒の組み合わせが定番! ズッキーノ柄 Zucchino...
オールドフェンディ OLD FENDI 辞典
フェンディ日本語 公式サイト オールドフェンディ ネットショップ 高品質なレザーやキャンバスが魅力。スタイリッシュで洗練されたフェンディのアイコニック「ズッカ」「ペカン」のデザインは現代も受け継がれ、リバイバルされています。職人技と遊び心が融合したイタリアンモードの真髄。時代を超えてファッション感度の高い人々を惹きつけます。 創業者 FENDI 1925年、エドアルド・フェンディとアデーレ・フェンディとアデールのフェンディ夫妻がイタリア・ローマで創業した毛皮工房を併設した革製品店としてオープン 夫妻は、ハリウッドで流行していた毛皮の襟巻きに着目し、毛皮のコートを売り出したことで大成功。以来、イタリア人女性にとってステイタスを象徴する存在となりました。 従来の毛皮製品の常識を覆しながらも、品性を兼ね備えた、ファッション性の高い製品はフェンディの代名詞とされています。 FENDIの歴史 1965年、名デザイナーであるカール・ラガーフェルトを主任デザイナーへと迎え入れる。 エナメル加工など様々な技法を取り入れた革新的なデザインが話題を呼び、当時のクラシカルな毛皮のイメージを一掃しました。 1969年、カールはフェンディでコートの裏地として採用していた「F」を組み合わせた柄を表側に使い、ここからブランドアイコンの「ダブルF」が誕生します。 それが今なおフェンディで根強い人気を誇る「ズッカ柄」の始まりです。 ズッカ柄 Zucca ズッカ柄(Zucca)。ズッカ柄は「FENDI」の「F」を上下交互に敷き詰めたデザインで、二つのFが重なり合うようなロゴが等間隔に並んでいます。 ダブルFのデザインは、フェンディのFではなく、「”Fun Fur”=ファーを楽しんで!」という意味が込められています 一目でフェンディとわかる大胆さとスタイリッシュな雰囲気があるズッカは、90年代に登場してから現在までブランドを代表するモチーフでいつづけています。 ちなみにフェンディはほかにも、ペカン柄やズッキーノ柄も有名モチーフとして知られています。ズッキーノ柄はズッカと同じく、Fを上下に組み合わせたロゴですが、ズッカのFを一回り小さくしたデザイン。細かくFが並んでいることで、ズッカよりも繊細で女性向けの印象のモチーフです。 ペカン柄は基本的に縦のストライプ模様で、フェンディのモチーフの中でも落ち着いたシンプルなデザイン。ストライプと言ってもかなり幅に太さがある縞模様が存在感バツグンで、個性を主張できる柄でもあります。 >>ヴィンテージ フェンディ ズッカ柄 在庫<< 頭文字であるFを刻印したズッカ柄は、一目でフェンディと分かる存在感とシンプルかつラグジュアリーなデザインで、瞬く間にブランドのアイコンとして定着しました。 70年代のOLD FENDIは、このズッカ柄がほとんどで、キャンバス生地×本革のカーキブラウンと黒の組み合わせが定番! ズッキーノ柄 Zucchino...
カルティエ Cartier 辞典
カルティエ公式サイト カルティエのネットショップ カルティエ(Cartier)は、フランスのジュエリーおよび高級時計ブランド 創業者 フランス人宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエ 1904年死去 1847年 カルティエがパリに誕生 高級宝飾店として名を上げる 1859年 パリのイタリアン大通り9番地に移転する。三人の息子にそれぞれパリ、ロンドン、ニューヨークの三大都市のショップを任せる。 マスト ドゥ カルティエ 「マスト ドゥ カルティエ」は、1973年に誕生したカルティエのサブライン。ラグジュアリーの概念を守りながらも、より多くの人々に手の届くデザインと価格帯を提案し、カルティエの世界観を広げる役割を果たしました。 マスト ドゥ カルティエとは?カルティエの違い カルティエ ラブブレス 1969年 カルティエの有名なデザイナーアルド・チプロが、古代の戦士が自分の妻に「貞操帯」というものを身につけさせたという昔の伝説からインスピレーションを受け、カルティエ ラブブレスを作りました。 カルティエのラブブレス(鍵がかけられる) 腕時計 長男は親交のあった「飛行機の父」と呼ばれるアルベルト・サントス・デュモンから、飛行中でも操縦桿から手を離さずに使える時計が欲しいと相談され、世界最初の量産腕時計を作りました。それが大成功を収め、1872年 – ルイ=フランソワ・カルティエ、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据えます。 1898年アルフレッド、長男のルイを事業のパートナーとする。 ウジェニー皇后が顧客となる他、英国王エドワード7世、スペイン国王アルフォンソ13世、ポルトガル国王カルルシュ1世、ロシア皇帝ニコライ2世、シャム国王ラーマ5世、エドワード8世などの王族の御用達となり、当時のファッションリーダーになりました。 ジュエリー 「王の宝石商、宝石商の王」(エドワード7世の言葉)と言われる名門ブランド。革製品、ライター、筆記用具なども扱っています。1980年代後半まで日本市場では「カルチェ」と表示、発音されていましたが、それ以降本国や英語圏市場での発音に近い「カルティエ」に統一され現在に至っています。 また、プラチナを宝石に世界で初めて取り入れ、繊細なデザインを作り出したことでも有名。 1984年 – カルティエ現代美術財団が設立される...
カルティエ Cartier 辞典
カルティエ公式サイト カルティエのネットショップ カルティエ(Cartier)は、フランスのジュエリーおよび高級時計ブランド 創業者 フランス人宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエ 1904年死去 1847年 カルティエがパリに誕生 高級宝飾店として名を上げる 1859年 パリのイタリアン大通り9番地に移転する。三人の息子にそれぞれパリ、ロンドン、ニューヨークの三大都市のショップを任せる。 マスト ドゥ カルティエ 「マスト ドゥ カルティエ」は、1973年に誕生したカルティエのサブライン。ラグジュアリーの概念を守りながらも、より多くの人々に手の届くデザインと価格帯を提案し、カルティエの世界観を広げる役割を果たしました。 マスト ドゥ カルティエとは?カルティエの違い カルティエ ラブブレス 1969年 カルティエの有名なデザイナーアルド・チプロが、古代の戦士が自分の妻に「貞操帯」というものを身につけさせたという昔の伝説からインスピレーションを受け、カルティエ ラブブレスを作りました。 カルティエのラブブレス(鍵がかけられる) 腕時計 長男は親交のあった「飛行機の父」と呼ばれるアルベルト・サントス・デュモンから、飛行中でも操縦桿から手を離さずに使える時計が欲しいと相談され、世界最初の量産腕時計を作りました。それが大成功を収め、1872年 – ルイ=フランソワ・カルティエ、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据えます。 1898年アルフレッド、長男のルイを事業のパートナーとする。 ウジェニー皇后が顧客となる他、英国王エドワード7世、スペイン国王アルフォンソ13世、ポルトガル国王カルルシュ1世、ロシア皇帝ニコライ2世、シャム国王ラーマ5世、エドワード8世などの王族の御用達となり、当時のファッションリーダーになりました。 ジュエリー 「王の宝石商、宝石商の王」(エドワード7世の言葉)と言われる名門ブランド。革製品、ライター、筆記用具なども扱っています。1980年代後半まで日本市場では「カルチェ」と表示、発音されていましたが、それ以降本国や英語圏市場での発音に近い「カルティエ」に統一され現在に至っています。 また、プラチナを宝石に世界で初めて取り入れ、繊細なデザインを作り出したことでも有名。 1984年 – カルティエ現代美術財団が設立される...
サルヴァトーレフェラガモ Salvatore Ferragamo辞典
サルヴァトーレフェラガモの公式ページ オールド・フェラガモ ネットショップ 「ヴァラリボン」や「ガンチーニモチーフ」は、オールドフェラガモの象徴として愛され、フェミニンなディテールと優美さが時代を超えた魅力です。創業者フェラガモは、9歳で初めて靴を作り、そして自身の名を冠したブランドを開業しました。その理念は、バッグや財布などのアイテムにも浸透しています。 創業者 サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)生年月日 1898年6月5日 – 1960年8月7日 サルヴァトーレ・フェラガモは、イタリア南部カンパニア州アヴェッリーノ県ボニートにて、14人兄弟の11番目として生まれた。 1907年最初にサルヴァトーレが靴を作ったのは9歳の時。妹が教会の儀式に参加するための靴だったとされている。 1909年11歳で自宅に靴屋を開業。靴作りに対する情熱と才能が早くから芽生えていた。 1913年15歳でアメリカに渡り、ボストンでカウボーイブーツの工場で働く兄弟のもとへ移住。その後カリフォルニアに移り、映画の衣装として靴を製作し、ハリウッドの俳優たちを顧客に迎える。これにより「スターの靴職人」として名声を高めた。 1915年 – 1927年ハリウッドでの名声が広がる中、足を痛めない靴を作ることを追求し、南カリフォルニア大学で解剖学を学ぶ。彼は靴の製作手法に関する複数の特許を取得し、技術的な革新を成し遂げる。 1927年、13年間いたアメリカからイタリアに戻りフィレンツェで自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」を開業。大恐慌の余波を受け1933年一度倒産するが、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー元王妃などの王侯、インドのマハラニなどの貴族やエヴァ・ペロン等の有名人の顧客を獲得し復興した。 その他、顧客にはイングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、カルメン・ミランダ、キャサリン・ヘプバーン、グレタ・ガルボ、グロリア・スワンソン、メアリー・ピックフォード、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ゲーリー・クーパー、ローレン・バコール、ジーン・ティアニー、クローデット・コルベール、シルバーナ・マンガーノ、ポーレット・ゴダード、アンナ・マニャーニ、ヴィヴィアン・リー、ベティ・デイヴィス、ラナ・ターナーなど多数のイタリアやハリウッドの映画俳優がいた。 1935年頃、ウェッジ・ヒールが誕生。最初に足を通したのは顧客でもあったモドローネのヴィスコンティ侯爵夫人です。 「何週間かの間に、ウェッジは最も人気のあるスタイルになっていた。これを履いた女性たちがやってきては履き心地の良さを称賛した。秘密はコルクにあった。」(サルヴァトーレ・フェラガモの自伝「夢の靴職人」より) つま先は低く、かかと部分が高いことが特徴。靴が地面に接する靴底という意味のソール部は平らだが、つま先とかかと部分の高低差が大きいく横から見ると直角三角形を描くように見える、くさび型。 靴職人であったサルヴァトーレ・フェラガモは顧客の足に触れただけでその人物の体調すらわかったとも言われる。 その一方、靴をいち早く既成品化したのがサルヴァトーレ・フェラガモ。靴の歴史の中でも既製品化された靴の歴史とともに足トラブル・外反母趾などが増えています。それは世界、そして現代社会においても人の身体の健康に大きな影響として続いています。 1947年に発表され、革命的と言われニーマンマーカス賞を受賞した「見えない靴」透明なナイロン糸で作られています。 1960年サルヴァトーレ・フェラガモが死去。彼の死後、家族がブランドを引き継ぎ、経営を続ける。 1965年次女ジョヴァンナ・フェラガモがレディースウェアの展開を開始。フェラガモの象徴的なモチーフ「ガンチーニ」や「ヴァラ」を取り入れた靴、バッグ、ウェアが発表され、フェラガモは世界的なラグジュアリーブランドとしての地位を確立。ブランドは350を超える特許を取得している。 1967年ジョヴァンナ・フェラガモの指導のもと、レディースとメンズのプレタポルテ(既製服)ラインをスタート。ブランドは靴からトータルファッションへと拡大し、バッグ、財布、香水なども展開するようになる。 1990年代フェラガモは引き続き、イタリア製にこだわり、サングラスや腕時計を除き、ライセンス契約を結ばず自社で製造を続ける。 2000年 A/Wシーズンマーク・オディベがレディースのデザインを担当。彼はセルッティ、エルメス、トラサルディなどでの経験を生かし、フェラガモのデザインに新たな風を吹き込む。 2003年...
サルヴァトーレフェラガモ Salvatore Ferragamo辞典
サルヴァトーレフェラガモの公式ページ オールド・フェラガモ ネットショップ 「ヴァラリボン」や「ガンチーニモチーフ」は、オールドフェラガモの象徴として愛され、フェミニンなディテールと優美さが時代を超えた魅力です。創業者フェラガモは、9歳で初めて靴を作り、そして自身の名を冠したブランドを開業しました。その理念は、バッグや財布などのアイテムにも浸透しています。 創業者 サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)生年月日 1898年6月5日 – 1960年8月7日 サルヴァトーレ・フェラガモは、イタリア南部カンパニア州アヴェッリーノ県ボニートにて、14人兄弟の11番目として生まれた。 1907年最初にサルヴァトーレが靴を作ったのは9歳の時。妹が教会の儀式に参加するための靴だったとされている。 1909年11歳で自宅に靴屋を開業。靴作りに対する情熱と才能が早くから芽生えていた。 1913年15歳でアメリカに渡り、ボストンでカウボーイブーツの工場で働く兄弟のもとへ移住。その後カリフォルニアに移り、映画の衣装として靴を製作し、ハリウッドの俳優たちを顧客に迎える。これにより「スターの靴職人」として名声を高めた。 1915年 – 1927年ハリウッドでの名声が広がる中、足を痛めない靴を作ることを追求し、南カリフォルニア大学で解剖学を学ぶ。彼は靴の製作手法に関する複数の特許を取得し、技術的な革新を成し遂げる。 1927年、13年間いたアメリカからイタリアに戻りフィレンツェで自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」を開業。大恐慌の余波を受け1933年一度倒産するが、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー元王妃などの王侯、インドのマハラニなどの貴族やエヴァ・ペロン等の有名人の顧客を獲得し復興した。 その他、顧客にはイングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、カルメン・ミランダ、キャサリン・ヘプバーン、グレタ・ガルボ、グロリア・スワンソン、メアリー・ピックフォード、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ゲーリー・クーパー、ローレン・バコール、ジーン・ティアニー、クローデット・コルベール、シルバーナ・マンガーノ、ポーレット・ゴダード、アンナ・マニャーニ、ヴィヴィアン・リー、ベティ・デイヴィス、ラナ・ターナーなど多数のイタリアやハリウッドの映画俳優がいた。 1935年頃、ウェッジ・ヒールが誕生。最初に足を通したのは顧客でもあったモドローネのヴィスコンティ侯爵夫人です。 「何週間かの間に、ウェッジは最も人気のあるスタイルになっていた。これを履いた女性たちがやってきては履き心地の良さを称賛した。秘密はコルクにあった。」(サルヴァトーレ・フェラガモの自伝「夢の靴職人」より) つま先は低く、かかと部分が高いことが特徴。靴が地面に接する靴底という意味のソール部は平らだが、つま先とかかと部分の高低差が大きいく横から見ると直角三角形を描くように見える、くさび型。 靴職人であったサルヴァトーレ・フェラガモは顧客の足に触れただけでその人物の体調すらわかったとも言われる。 その一方、靴をいち早く既成品化したのがサルヴァトーレ・フェラガモ。靴の歴史の中でも既製品化された靴の歴史とともに足トラブル・外反母趾などが増えています。それは世界、そして現代社会においても人の身体の健康に大きな影響として続いています。 1947年に発表され、革命的と言われニーマンマーカス賞を受賞した「見えない靴」透明なナイロン糸で作られています。 1960年サルヴァトーレ・フェラガモが死去。彼の死後、家族がブランドを引き継ぎ、経営を続ける。 1965年次女ジョヴァンナ・フェラガモがレディースウェアの展開を開始。フェラガモの象徴的なモチーフ「ガンチーニ」や「ヴァラ」を取り入れた靴、バッグ、ウェアが発表され、フェラガモは世界的なラグジュアリーブランドとしての地位を確立。ブランドは350を超える特許を取得している。 1967年ジョヴァンナ・フェラガモの指導のもと、レディースとメンズのプレタポルテ(既製服)ラインをスタート。ブランドは靴からトータルファッションへと拡大し、バッグ、財布、香水なども展開するようになる。 1990年代フェラガモは引き続き、イタリア製にこだわり、サングラスや腕時計を除き、ライセンス契約を結ばず自社で製造を続ける。 2000年 A/Wシーズンマーク・オディベがレディースのデザインを担当。彼はセルッティ、エルメス、トラサルディなどでの経験を生かし、フェラガモのデザインに新たな風を吹き込む。 2003年...
イヴ・サンローラン YSL Yves Saint Laurent辞典
イヴ・サンローラン公式サイト – ysl.com イヴ・サンローランのネットショップ 創業者 イヴ・サンローラン 1936年~2008年 イヴ・サンローランは1936年8月1日、フランス領だったアルジェリアのオランで誕生しました。 クリスチャン・ディオールに才能を見いだされ、彼の死後、弱冠21歳の時にメインデザイナーの後継となる。 >>YVES SAINT LAURENT GOODS在庫<< 継承後、初のコレクションである1958年春に、「トラペーズ(台形)ライン」を発表。ヴォーグ誌が 「議論の余地のない完全な成功」と絶賛する。 1961年に独立すると、スモーキングジャケットやサファリルックに代表される、マスキュリンなコレクションを発表。 1965年 「モンドリアン・ルック」発表 >>YVES SAINT LAURENT モンドリアン 在庫<< ココ・シャネルが「サンローランこそ私の後継者」と発言 60年代後半 超ロングブーツやミリタリー・ルック、サファリ・ルック、パンタロン・スーツ、シースルー・ドレス、ポップアート・ドレスなどを発表。どれもファッション界に衝撃を与え、70年代にはコサック・ルックやフォークロア調の服が広まり、その頃からオートクチュールにも磨きがかかり、その巧みな色彩感覚とともに「モード界の帝王」と呼ばれる。 1998年 フランスワールドカップを記念してブランドの歴史を振り返るような壮大なコレクションを開催。...
イヴ・サンローラン YSL Yves Saint Laurent辞典
イヴ・サンローラン公式サイト – ysl.com イヴ・サンローランのネットショップ 創業者 イヴ・サンローラン 1936年~2008年 イヴ・サンローランは1936年8月1日、フランス領だったアルジェリアのオランで誕生しました。 クリスチャン・ディオールに才能を見いだされ、彼の死後、弱冠21歳の時にメインデザイナーの後継となる。 >>YVES SAINT LAURENT GOODS在庫<< 継承後、初のコレクションである1958年春に、「トラペーズ(台形)ライン」を発表。ヴォーグ誌が 「議論の余地のない完全な成功」と絶賛する。 1961年に独立すると、スモーキングジャケットやサファリルックに代表される、マスキュリンなコレクションを発表。 1965年 「モンドリアン・ルック」発表 >>YVES SAINT LAURENT モンドリアン 在庫<< ココ・シャネルが「サンローランこそ私の後継者」と発言 60年代後半 超ロングブーツやミリタリー・ルック、サファリ・ルック、パンタロン・スーツ、シースルー・ドレス、ポップアート・ドレスなどを発表。どれもファッション界に衝撃を与え、70年代にはコサック・ルックやフォークロア調の服が広まり、その頃からオートクチュールにも磨きがかかり、その巧みな色彩感覚とともに「モード界の帝王」と呼ばれる。 1998年 フランスワールドカップを記念してブランドの歴史を振り返るような壮大なコレクションを開催。...