起業のきっかけ<私が体験した70s~80s>
初めまして!オーナーのYumiです☆
私の若い頃(70~80年代)は、日本の黄金のファッション期と言われています。
東京で生まれた私は、世界で最初のスタイルやブランドの大流行を中学生の時から目の前で経験しました。
1964年
GUCCIは、1964年に、東京銀座のサンモトヤマの努力によって、初上陸しました❗️
▶️オールドグッチとサンモトヤマの関係
その年に私は母の実家の文京区で生まれました。
銀座にも遊びに行ってたお洒落な母は、ミシン好きで、長女の私に流行りの服を作っては、着せ替え人形のように楽しみました(笑
文京区に住む母の父が105才で亡くなる早朝の4時頃、、その時間に夢枕に立ったのです❗️
従兄弟の紀子ちゃんと私の所にだけ。
その紀子ちゃんはJAZZ歌手で、今回の動画の音源です🎵これも何かの縁ですね🎵
そして、その祖父は骨董を扱う質屋の生まれなので、私はその血筋のようです。
60年代〜
60年代の日本のファッションを語るとしたら、それはやはり、りかちゃん人形、バービー人形でしょうか?
母の方が熱心に、人形を買ってその服作りをしていた記憶があります。
人形遊びが苦手だった私は、着せ替えだけは好きでした。そして、母は銀座で見たのか?ファッション雑誌で見たスタイルなのか?私の服もミシンで編み出していきました。
ちょっと個性的な服を着せられていた記憶です。
70年代後半
中学生の時はセーラー服でつまらないファッションでしたが、世の中的には新宿のディスコブームに始まり、原宿の竹下通りが一番ホットな時期。同潤会アパートも健在。夜と日曜日がファッションの盛り上がりタイム。
日曜となれば、代々木公園の広い道路はホコ天で、派手すぎる、たけのこ族真っ盛り。(入っていませんが)
80年代
中学時代に引き続き、髪の色もスカートの長さも何でも自由な高校に通っていて、お洒落を楽しみました。
*1980年 ファッション誌 JJ(ジェイジェイ)
お洒落に貪欲な私達は、バイト代が入ればJJなどのファッション雑誌で見た新しいアイテムを友達より先にゲットしたい! 流行の色やスタイルに乗り遅れたくない!!
この時代のファッションは一般的にはトレンドに追従することが求められますが、それに飽きると、個性を求めて先の先を見て、流行前のスタイルを自分で作ったり、新しいブランドを探していました。
*高校2年生で赤と緑を身に付けていた私
ミニボストンバッグは私達が流行らせたんじゃないかな、、って今でも思います^^
みんなお洒落に敏感でした。
髪型は聖子ちゃんカットでしたが(笑
現在はその頃のスタイルの繰り返しやアレンジばかりで、今までに無い個性を求めていたその頃を懐かしく思うこともあります。
そして・・80年代初期”ニュートラ”によるブランドブーム到来!高校生でした。
他にもハマトラ、プレッピー、アイビー、男の子もオシャレでした。
ニュートラは、実はブランドブームの仕掛け人なんです
1995年発売an・anの雑誌でも、再びニュートラブームが繰り返されいますが、今見ても飽きのこない大人のエレガントな上品スタイルですよね。
原宿では、タケノコ族からロックンロール(50s)に変わっっていました。
次にバンドブームが起きましたが、バンドより車やバイクにハマっていた私は、その横で開かれていた代々木フリーマーケットで出店していて、その後すぐに個性的なバンド達やタレントさんが買いに来てくれる古着屋を経営していました。
バンドブームの到来で、60s、70sのツイギーや、オードリーヘップバーンに憧れて、ピエールカルダンなどのヨーロッパのブランドやレトロな古着文化も始まっていました。
海外ブランドに触発されて、日本のブランド(DCブランド)ブームも始まりました。モノトーンのコムデギャルソン、Y‘s などカラス族。ピンクハウスなどロリータ、、乙女族・・(ボディコン。そしてお立ち台は品がないのでファッション文化から除外します笑 ジュリアナは行った事ありません)
ハイブランド・コンサバとの出会い
私が20歳の頃、初めてグッチやセリーヌなどのハイブランド品に出会い、その美しさと歴史に魅了されました。
当時はシャネルはまだ日本に来ていません。エルメスはかなりハイレベルなので、可愛くて細部のディティールが優れていたグッチが人気!
ワンピースにブレザーなどのお嬢様風スタイルに、エルメスやグッチなどの海外ハイブランドアイテムを組み合わせたスタイルが大流行しました。
ブランド品を身につけ、上品なコンサバを目指していました(笑