<そして私はバイヤーになった!?>
三浦和義がキッカケに??
20才の頃、自分に全く合わない会社員生活を辞めて、他にも理由があり、実家を離れて一人暮らしをしていた。
たまに、バイトしていたイギリスアンティークカフェのマスターから教えて貰った代々木のフリーマーケットに出店しながら、「ぽに〜て〜る」という奇妙な売ります書います情報誌を作るバイトをしていた。
何か起業しよう、と、ぼんやりとTVを見ていたら、ロス疑惑の三浦和義事件を報道していた。
丁度、三浦和義が経営する代官山のアンティークショップ、フルハムロードが映し出されていた。
小洒落た見た事ないアンティークな海外の古着やグッズが並んでいた。
そこで、私のミラクルが発動した。
三浦和義は、ロスアンゼルスのフリーマーケットなどで買い付けしている最中に奥さんを銃で撃ち殺して自分の足も自分で撃って保険金詐欺をしようとした、と報道している。
と、いう事は、ロスのフリーマーケットに行けばこの素敵な品物が手に入るのね?
きっと、この品物はこれから売れる!と確信する。その前に自分だけのコレクションにしたい❣️
そこで、私は情報を得ようと本屋に行った。
今と違ってネットもスマホも無い時代。
当時は、海外旅行のガイドブックとしては、「地球の歩き方」しか無かった時代。
早速、ロスアンゼルス編を買って隅々までフリーマーケットを探したら、小さい情報として、ローボールと住所が出てきた。
ロスのミラクルな1人旅
そこで高校のアンティーク好きな友達を誘って、ロスに行こうと、ツアーに入らずロス行きの往復チケットを買って行く事に。
ところが、その1週間前に、友達に、親の不幸があり行けない事になった。
悩みに悩んだ末に、キャンセル料を払う位なら!と、1人でも行く事にした。
海外旅行の経験は、友達との香港、台湾位だった。高校の同級生は、東京に飽きて海外に目を向けていた。でも憧れのヨーロッパもアメリカも高過ぎてなかなか行かない。ドルが240円前後の時代。しかも飛行機で8時間以上かかる。
そしてロスは、東南アジアとは違い、車文化らしい。しかも1人旅。
今でも無謀な話だと思うけど、1人でロスに行きカタコトの英語で、何とかレンタカーを借りて、そのまま高速道路に乗り、片手に地図を持って見ながら、、
なんと!ローズボールまで行けてしまったのだ。
奇跡に近い走り!
しかも、日本と違って、左運転ではなく右運転。
右車線だし、何もかも日本と反対で違う交通ルール。車優先社会だから、人なんか道に歩いていないから道も聞けない。バスも一日一本な程。
全ての道路が広すぎて、そして交差点に信号なんかない。
真ん中が丸くなっていて、順番で入って抜けていくパターンか、規則通りに交差点を抜けるパターン。ところが、何故かすぐ慣れてスイスイ運転出来た!(日本の道路や交通ルール程、複雑なものは無い)
国際免許も取って、ある程度、知識は持ってたけど、20才で単独で事故も起こさず、1ヶ月、運転した。まさに奇跡!というか、毎日車に乗って、たまに首都高をグルグルしてた経験が生かされた。
ローズボールで、カタコトの英語が通じてしまったため、ピピッときた古着やアンティークを沢山買い込んだ。日本人など誰もいなかった時代。
次に宿探し。これもカタコトの英語で何とかなった。
宿泊先は、リトル東京のドミトリーホテルと決めていた。
ここに来れば日本人が多い事までは地球の歩き方で調べていた。
しかも、アメリカでは、ハンバーガーかステーキしか外食が見つからないし、不味いし高いけど、リトル東京の中にあるヤオハンというスーパーに行けばご飯のテイクアウトが安く手に入る。
予約までしてなかったけれど、目星を付けてたホテルは予算通り空いていた。
今思えば、当時、こんな所に来る日本人はいないと思う。
リトル東京との出逢い
そこに住む?住人に色んな事を教えて貰う。
なにせ、今でいうゲストハウスのようなもの。
そこには長期間住み続けている日本人が何故か沢山いた。
理由は、、
元々、リトル東京は、アメリカの中の日本人村として栄えた街なので、元々ここに住んでいた人の祖先。
国内の有名大学に落ちたため、海外の大学?に行ってる様に見せかける(金持ちの娘)
なんだか怪しい仕事をしてる人(売人?)
ビザが切れたため日本に帰れない人(仕事していた友人もこうなった人もいた)
そんな感じの住人なので、私のアンティークを集める!という仕事はみんな興味津々で、沢山の協力を貰えた。
フリーマーケット情報も、古着屋情報も。
そして、現地で発行していた日本語新聞も置いてあり、そこに山ほどのガレージセール情報があった。
家の前で売り買いするガレージセールはアメリカやヨーロッパではごく普通に行われている。
ロスだけではなく、サンフランシスコ、サンタモニカなどカリフォルニア州を車で走る日々。
沢山の大型の古着屋が沢山あって後々に開く大型店舗のヒントになる。
日本で「ぽに〜て〜る」を通して知り合ったバイヤーの人達にもお世話になり、メキシコの国境では、移民、難民などで、ごった返しているので、アンティークが安く買い叩かれてると聞いては、そこまでみんなで車で行ったりと。お金が無くなれば、紹介されて日本人経営の寿司屋でバイトしたりホームステイしたり。
オマケだけど、ラスベガスのカジノまで車で8時間もかけて遊びに行ったり。(1人10万円当てた仲間がいた)
1週間滞在の予定が、楽し過ぎて、延長して1ヶ月滞在となる。
まさかのバイヤーに。
その後、アメリカで買い付けた品物を代々木のフリーマーケットで売ったり、「ぽに〜て〜る」で知り合った店のオーナーに売ったり。
2年後、ドルが240円前後だったのに、160円台に落ちた。その頃、古着屋開業をしていて、絶好の仕入れのタイミングを得る。
ここからが古着バブルに入る。
思い返すと、三浦和義銃撃事件から、まさかのバイヤーとなっていた。
バイヤーになる事を強く望んだ訳ではない。
会社員は2度ど嫌だ!スピードと運転が好きで、好きな事を追求しただけだった。
まだ、下北沢にも高円寺にも、古着屋は数店舗という時代で、古着に抵抗のある人達ばかりの時代背景だった。
カリフォルニアにアンティークが集まる訳
なぜカリフォルニア州に、ヨーロッパの良質なアンティークが集まっていて、それを狙ってバイヤーが来ているのか??
そこには理由がある事を現地のバイヤーから教えて貰いました。
それこそ100年そこそこの歴史の浅いアメリカという国は、イギリスを始めヨーロッパからの移民で成り立っている国です。
ヨーロッパの金持ちが、戦争などを乗り越えてアメリカに持ちこんだ価値の高い品々を、生きる為にお金にしようとします。だからフリーマーケットやガレージセールも、古着屋も増えたのです。古着や中古に抵抗があるのは日本だけかもしれません。
けれどもニューヨークなど他の地域は湿気が多い為、カビなどでダメージを受けてしまうケースが多い中、カリフォルニア州はカラッとした陽気のため、生き残ってる高価な品やアンティーク品が多いのです。
だから、カリフォルニア州には、物もバイヤーも集まって来ているのです。