ピエールカルダン年表
ピエールカルダンPierre Cardin
1922年7月2日生
ユニークで前衛的なスタイル
ハサミの魔術師 カットの天才
もとは建築家を目指していたが、
60~70年代に宇宙的な魅力が大ブレークして、今では、その頃の希少なVintageモデルをヨーロッパのマニアが収集している事で知られている。
1946年~ディオール「ニュールック」
当時のディオールにはイヴサンローランやギラロッシュの姿も…
1950年代 自らのアトリエを立ち上げる。前衛的なスタイルのオートクチュールを開始 ジッパー エナメル メタリックなど未来的な素材を大胆に使っていく
1954年「バブルドレス」発表
1959年 プレタポルテを百貨店プランタンに向けて発表
プランタンにカルダンコーナーができる
1961年 日本の文化服装学院名誉教授に就任。
1963年 紳士服ブリルとともに「ジュニアコレクション」をだす
紳士服業界に進出 伝統的なメンズスタイルをくつがえすスタイルを発表
モデルに一般学生を使うなど新しい試みも、「シリンダーライン」
1966年 生地を切り取る斬新な「ヌードルック」
1982年
ピエール・カルダンは、世界初の有名デザイナーブランドによる国際フランチャイズ展開をさらに強化。彼はファッション業界でのライセンスビジネスのパイオニアであり、世界中の様々な製品に「ピエール・カルダン」の名を冠した商品が販売されている。このビジネスモデルにより、ブランドの認知度と売上が大幅に拡大。
1986年
ピエール・カルダンは、国連のグッドウィル大使に任命され、ファッションデザイナーとしての活動だけでなく、人道的な活動にも取り組むようになる。
1991年
カルダンはロシアでファッションショーを開催し、当時としては珍しい国際的な舞台でのショーを成功させる。これにより、ブランドはさらにグローバルな認知度を高め、ロシア市場への進出を果たす。
1994年
カルダンは、ベトナムで初のファッションショーを開催。このショーはファッションと文化の交流を深める画期的なものであり、彼の国際的な影響力がさらに拡大する。
2001年
ピエール・カルダンは、中国でファッションショーを開催し、アジア市場での存在感を強化。この時期、彼のデザインはアジアの顧客層からも高い評価を受け、特に中国市場での成功がブランドの成長を支える。
2005年
ピエール・カルダンは、パリの有名な劇場「エスパス・カルダン」を購入し、文化的な活動を支援。彼はファッションだけでなく、アートや劇場にも強い関心を持ち、この劇場を通じてアーティストを支援する。
2011年
ピエール・カルダンは、ブランド設立60周年を迎える。彼の革新的なデザインとビジネスモデルが再評価され、ファッション界における彼の功績が称賛される。カルダンは引き続きデザインや事業拡大に意欲を持ち続けていた。
2016年
カルダンのドキュメンタリー映画「House of Cardin」が制作され、彼の人生とキャリアに焦点を当てた内容が注目を集める。この映画は、彼のビジョンと革新性がファッション業界にどれほどの影響を与えたかを伝えるものであり、世界中の映画祭で上映される。
2018年
ピエール・カルダンは90歳を超えてもなお、ブランドを牽引し続け、若いデザイナーたちに影響を与える存在であり続ける。彼のビジネスモデルとフランチャイズ展開は、ブランドの成長を支える要素となっている。
2020年
ピエール・カルダンが98歳で亡くなる。彼の死はファッション業界に大きな影響を与え、多くのデザイナーやファッション関係者から追悼の言葉が寄せられる。カルダンの革新的なデザインとビジネスモデルは、彼の遺産として今も受け継がれている。
2021年
カルダンの後継者たちは、彼のビジョンを受け継ぎ、ブランドの再編と現代化に取り組む。新しいコレクションが発表され、若い世代へのアピールを強化。
2023年
ピエール・カルダンのブランドは、アーカイブコレクションの復刻や、過去のアイコニックなデザインを現代風にアレンジした新作コレクションを展開。特に、デジタルマーケティングやソーシャルメディアの活用により、ブランドは若年層の顧客にも訴求し、国際的な評価を維持している。
2024年
カルダンのブランドは、サステナビリティやデジタル化に焦点を当てた新しいイニシアチブを進めており、環境に配慮した素材を使用したコレクションが発表されている。また、過去の遺産を尊重しつつも、現代的なデザインと革新を追求する姿勢を強調している。