フェラガモの年表
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創業者 サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)
生年月日 1898年6月5日 – 1960年8月7日
サルヴァトーレ・フェラガモは、イタリア南部カンパニア州アヴェッリーノ県ボニートにて、14人兄弟の11番目として生まれた。
1907年
最初にサルヴァトーレが靴を作ったのは9歳の時。妹が教会の儀式に参加するための靴だったとされている。
1909年
11歳で自宅に靴屋を開業。靴作りに対する情熱と才能が早くから芽生えていた。
1913年
15歳でアメリカに渡り、ボストンでカウボーイブーツの工場で働く兄弟のもとへ移住。その後カリフォルニアに移り、映画の衣装として靴を製作し、ハリウッドの俳優たちを顧客に迎える。これにより「スターの靴職人」として名声を高めた。
1915年 – 1927年
ハリウッドでの名声が広がる中、足を痛めない靴を作ることを追求し、南カリフォルニア大学で解剖学を学ぶ。彼は靴の製作手法に関する複数の特許を取得し、技術的な革新を成し遂げる。
1927年、13年間いたアメリカからイタリアに戻りフィレンツェで自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」を開業。大恐慌の余波を受け1933年一度倒産するが、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー元王妃などの王侯、インドのマハラニなどの貴族やエヴァ・ペロン等の有名人の顧客を獲得し復興した。
その他、顧客にはイングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、カルメン・ミランダ、キャサリン・ヘプバーン、グレタ・ガルボ、グロリア・スワンソン、メアリー・ピックフォード、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ゲーリー・クーパー、ローレン・バコール、ジーン・ティアニー、クローデット・コルベール、シルバーナ・マンガーノ、ポーレット・ゴダード、アンナ・マニャーニ、ヴィヴィアン・リー、ベティ・デイヴィス、ラナ・ターナーなど多数のイタリアやハリウッドの映画俳優がいた。
1935年頃、ウェッジ・ヒールが誕生。最初に
つま先は低く、かかと部分が高いことが特徴。靴が地面に接する靴底という意味のソール部は平らだが、つま先とかかと部分の高低差が大きいく横から見ると直角三角形を描くように見える、くさび型。
靴職人であったサルヴァトーレ・フェラガモは顧客の足に触れただけでその人物の体調すらわかったとも言われる。 その一方、靴をいち早く既成品化したのがサルヴァトーレ・フェラガモ。靴の歴史の中でも既製品化された靴の歴史とともに足トラブル・外反母趾などが増えています。それは世界、そして現代社会においても人の身体の健康に大きな影響として続いています。
1947年に発表され、革命的と言われニーマンマーカス賞を受賞した「見えない靴」透明なナイロン糸で作られています。
1960年
サルヴァトーレ・フェラガモが死去。彼の死後、家族がブランドを引き継ぎ、経営を続ける。
1965年
次女ジョヴァンナ・フェラガモがレディースウェアの展開を開始。フェラガモの象徴的なモチーフ「ガンチーニ」や「ヴァラ」を取り入れた靴、バッグ、ウェアが発表され、フェラガモは世界的なラグジュアリーブランドとしての地位を確立。ブランドは350を超える特許を取得している。
1967年
ジョヴァンナ・フェラガモの指導のもと、レディースとメンズのプレタポルテ(既製服)ラインをスタート。ブランドは靴からトータルファッションへと拡大し、バッグ、財布、香水なども展開するようになる。
1990年代
フェラガモは引き続き、イタリア製にこだわり、サングラスや腕時計を除き、ライセンス契約を結ばず自社で製造を続ける。
2000年 A/Wシーズン
マーク・オディベがレディースのデザインを担当。彼はセルッティ、エルメス、トラサルディなどでの経験を生かし、フェラガモのデザインに新たな風を吹き込む。
2003年 S/Sシーズン
アルマーニで経験を積んだグレエム・ブラックがレディースのデザイナーに就任。フェラガモのブランドアイデンティティを尊重しつつ、現代的なエッセンスを取り入れたコレクションを発表。
2007年
グレエム・ブラックが自身のブランドに専念するため、フェラガモのデザイナーを辞任。後任としてクリスティーナ・オルティスがチーフデザイナーに就任。メンズラインは引き続きマッシミリアーノ・ジョルネッティが手がける。
2010年 A/Wシーズン
マッシミリアーノ・ジョルネッティがレディース部門のデザインも担当することが決定。彼はフェラガモ全体のクリエイティブ・ディレクターとして、ブランドの統一的なビジョンを提供する。
2009年
ヨウジヤマモトとコラボレーションし、限定シューズを発表。このコラボレーションは両ブランドの伝統と革新が融合したものとして注目される。
2016年
マッシミリアーノ・ジョルネッティがフェラガモを退任。後任として、フルダ・ゴニがレディースのチーフデザイナーに就任。フェラガモはファッションの世界でのさらなる成長を目指し、新たなクリエイティブ方向性を模索する。
2017年
ポール・アンドリューがフェラガモの女性ラインのデザイン責任者に任命され、2019年には全ラインのクリエイティブ・ディレクターに昇進。アンドリューは伝統と現代性を融合させた新たなコレクションを展開し、フェラガモの革新をリードする。
2021年
ブランドはデジタル市場の強化を進め、オンラインでの販売やデジタルショーケースを通じて、若年層や新しい顧客層の開拓に成功。特に中国市場での売り上げが伸びた。
2022年
デザイナーとして、マクシミリアーノ・ジョルネッティの後を継いだポール・アンドリューが退任し、新たなクリエイティブディレクター、マルコ・デ・ヴィンチェンツォが就任。彼はイタリアの伝統と現代的なスタイルを融合させ、ブランドに新たなビジョンをもたらす。
2023年
マルコ・デ・ヴィンチェンツォによる最初のコレクションが発表され、クラフツマンシップと現代的なデザインの融合が高く評価される。ブランドはサステナビリティへの取り組みを強化し、環境負荷を抑えた製品ラインの拡大を発表。
2024年
フェラガモは引き続き、伝統と革新を融合させたスタイルを打ち出しつつ、デジタル領域やサステナビリティへの取り組みを強化している。ブランドのクラシックな魅力を維持しつつ、次世代の顧客にもアピールする姿勢が評価されている。