• Rococoは全国送料無料!返品もOK♪

  • 古着屋経営はミラクルの連続

    owner

    伝説の下北アパートメントストア

    [ぽに〜て〜る]という雑誌を作っていた時に出会った、友達から紹介された、下北アパートメントストア。

    そこは、下北沢駅の西口から3分程。

    (2020年頃取り壊し)

     鎌倉通りという小洒落た通りに面しているのは、2メートル弱の道路だけ。その路地を5メートル程入った所にあるので、

    その建物は通りからも駅からも

    ほぼ、、な〜んにも、、み、見えない@@

    でも!看板は、、見える!

    築50年は経つ古すぎるアパートを6~7件ほどの店舗に無理に造り替えて貸していた。

    大家さんは親から相続したけれど、建築基準法で接道が2メートル以下の道路の場合は再建築が出来ないので、苦肉の策で店舗の形にして貸し出していた。

     ただ、隣の敷地の大家さん(アンナミラーズとジーンズメイト)からほんの数10cmの土地を分けて貰えれば再建築が可能なので、交渉中。

    だから、契約の時には半年契約とさせて貰う、という条件を最初から言われていた。

     しかも、公証役場まで行き証書を交わすと厳しく言われる。

    条件だけ聞くと、今考えても、最悪だ。

    「下北沢西口3分と言っても奥まった道路の奥。建物は古く、50年は経過しているボロボロアパートを改装した7件ほどの集合店舗の2階の一部」

    「半年契約でその後、絶対に出ていってもらう。その契約書は公正証書を作りサインを貰う」

    「その代わり、前家賃1ヶ月の15万だけで良い。保証金も敷金も何も要らない」

    最後の条件以外は最悪↘︎

    初めて下北沢という街に行き、場所を見てみたら、前に借りていたオーナーがDCブランドの古着屋をやっていたせいか、そんなに内装にお金をかけなくても使えそうだった。

    でも、なにせ、木造アパートを改装したので、6畳の部屋が縦に並んでいて木造の柱は抜けず、そのまま、剥き出しの柱があちこちに立っている状態。 トイレは建物に一つだけの男女共有の和式。

     試着室も隣のRockな店と共有。

     その店長は、いつも大きなヘッドホンをかけてロックを聴いている。店の内装で手伝ってくれる、約1年後に夫になる人と、Rockも年齢も背格好も似てるのに、、

     不機嫌な感じで愛想が全くないどころか、挨拶しても返さない。

       結局最後まで会話らしい会話もせず終わったけど、最後はうちの店長と恋仲になり、うちが退去した後うちを借りたというオチがついた。

    でも、会社勤めの時のパワハラ上司より私を虐めないだけマシだった。

     アパートメントストアを仕切ってる番長は、真下のレトロな雑貨を売る店。年齢も雰囲気も三浦和義ソックリでキツイ物言いをする愛人と経営している。フルハムロードとそっくりな店作りに、愛人ヨシミさんまで、そのキャラが似ている。

     他にも個性あふれるオーナーのオンパレード。ヒッピーもいれば、メキシカンもいるし、全員男性店長😓

     が!その中に、2人ほど、バイヤー仲間もいて、全く知らない人ばかりでなかったのが不幸中の幸いだった。

     それよりも、アメリカに何度か行ってる間に、自由人とは波長が合う事はわかった。

     同時にお呼びがかかった宝島での編集長=正社員への道。悩んだけれど、お茶汲み問題のアレルギーがあるので、自分で何かをやるしか道はなかった。

    →起業のきっかけ< 初代前レースクイーン?>

    悩みに悩んで占いにも行く

    古着屋を始めるにあたって、もちろん悩んだ。 どちらかといえば、今のままバイヤー業だけでも食べられたし、実は古着屋をやろうと思った事が一度も無かった。

     なぜなら「ぽに〜て〜る」で知り合った古着屋オーナーさん達は、売れなくて売れなくて、配本で店に行くたびに愚痴や相談を受けてばかりいたからだ。

     そして、私は立地とオーナーさんの個性などから、思いつく限りのアドバイスを偉そうにしていた。 私だったらこうする、というアイディアを丁寧に説明する。その中に「ぽに〜て〜る」への広告を出す事も提案するから広告も取れる。なにせ5000円程の広告。自分なら悩む事なく出す。そしてその広告作りも私がやってあげるのだ。安過ぎる。 けれども、広告5000円は出すけれど、他の私からのアドバイスは斬新過ぎるのか?何も行動しない。 だから、挙句、廃業する、というのをこの目で何件も見てきた。 そこに歯痒さを感じていた。

     何で私のアイディア通りに動かないのだろう?

    その私の斬新?かもしれないアイディアで古着屋をやってみようか?

    他人にアドバイスするなら、まずは自分がやれば良い。

    それでもまだ悩んだので、当たると評判の占いに行く事にした。

    全て話してタロット占いをしてもらったら、下北沢のある東南の方向はダメ!辞めなさい! と出てしまう。 私はその時、タロットを勉強して、自分で自分を占ってみた。 すると吉と出る。

     悩んだ挙句、もう失敗しても、経験だし、どうせ半年しか出来ないのだから、と、ダメ元で借りる事にした。15万に内装費ほどなら、貯金でなんとかなる。3〜50万しか貯金はなかったけれど。

    斬新な経営は年中無休から

    取り扱う古着は、当時私がフリーマーケットで売っていた古着、DCブランドやグッチなどのブランド。プラス、アメリカの古着。

    そして、私の斬新な経営アイディアを試してみる事にした。

    それは❣️  年中無休の店にする事。

    この時代は、コンビニもファミレスもまだ街に数店舗しか無かった時代。 店舗は休みは当然のように曜日を決めてあるし、臨時休業も当たり前。 だけど私は、お客様の立場になって何事もしたかった。

     だって折角行ったお店が休みだったら、次行きますか?

     そして年中無休を謳い文句にした。

    マリリン!を雇え

    そして、いきなり初めから人を雇う事!コレもオジサン店長には提案していた。

    愛想の悪いオジサンが店にいてもお客様は逃げるだけ。看板娘を雇って、経営者は影の仕事をした方が良い。

    そのアドバイスをすると、人件費がかかるからと、結局みんな行動しなかった。

    でも、私はすぐに実戦する。

    年中無休で経営するのだから私1人じゃ無理だし。

    募集ポスターを通りから1番目立つ看板に貼った。

    看板はマリリンモンロー。その隣に

    アルバイト募集‼️ 時給500円(当時の相場)

    店名は、You -Me

    そしたら、すぐにマリリンモンローの娘みたいな20才の可愛い女の子が来てくれた!当時の私は23頃だから、ほぼ同年代。

    私なんかより魅力があるし、お客様へのあたりも良い。 何せ、私は、ファッション業界で働いた事もないし、洋服屋で働いた事もない。 でもモンローちゃんは、ブランド店で働いた経験があった。 早速モンローちゃんに店を任せる。 私は経営者として、一歩引いた所から店造りをしたかった。 いつでもお客様の立場に立って、店造りをしたかった。

    私の仕事は・・

    1お客様に喜んで買って貰うための店の動線やコーディネート。内装もペンキ塗りもトンカチ🔨も何でもやった。

    2車が無いと効率が悪すぎるバイヤー業なので、この部分だけは私でないと出来ない。

    3店を宣伝する広告。チラシを駅で配ったりもした。暇な時間があって愚痴をこぼすなら、バイトを雇って、自分がチラシを配ればいい。

    4「ぽに〜て〜る」の経営を反面教師にした。とにかく、経営者は数字に弱いと先がない。ソロバン、暗算2級ほどは持っていて、なぜか数字だけは強かった私は経理はきちんとした。

      みんなやりたくない裏仕事は私がやる。でも表舞台に立って販売する子は、私なんかより可愛いくて人懐っこい子の方が良い。 人を雇って役を分ける。それが、私がした経営手法だった。

    効果はすぐに現れる

     その経営手法は、すぐに効果が現れた。

     モンローちゃんのセンスも素直に取り入れて店作りをした結果、3ヶ月頃から確実に利益が出るようになった。

     DCブランドの古着だけではなく、アメリカから輸入した50s〜70sのツイッギースタイル、サイケデリックや50sのスタイルも評判になる。

    個性的な服ほど高く売れる。世はバンドブーム(イカ天が始まる少し前)バンド系の子達が、個性を求めて遠方からも来てくれた。まだ高校生の千秋ちゃんや久本雅美さんも接客して売ったのを覚えている。

    古着屋はライブハウスとなる

    とにかく、モンローちゃんが個性的でセンス抜群の子なので、彼女の意見もどんどん取り入れる。店で流す音楽は、モンローちゃんが大好きな リンダリンダ〜🎵の「THE BLUE HEARTS」スカなど。

      売れ始めたけれど、モンローちゃんは遅刻欠席が多すぎるので、もう1人雇う事に。(遅刻で先生に褒められた私はキツく注意も出来ず💦)

     そして、次にバイトで来たのは、これまた個性あふれる草間彌生の孫娘のような娘だった。2人とも20代前半。 彼女が好きなのは、「RCサクセーション」忌野清志郎だ。 私が好きなのは清志郎の恩師の「井上陽水」だけど、どうしても、陽水の曲は場違いだった(苦笑

       そして、私がいない時に、そのRockな音楽をボリューム上げて、、、ついには踊ってしまうのだ😰「屋根裏」という今では伝説のライブハウスにも通ってた彼女達は、ライブハウスの友達も大勢集まってきて、店は、どうやらライブハウス状態になってしまったようだ。

     50年も経つボロアパートの構造だから、下のお店には煩かったに違いない。 真下の店舗の三浦和義(似)の愛人が音が煩い!と怒鳴り込んで、クレームが入る。 いつも私がいない時にそれは起きて、申し訳なさそうにモンローちゃん達が私に報告する。

     喧嘩しても仕方がないし、うちが悪い訳だし、、。 会社勤めのパワハラ上司とお局様の経験値があったので、その都度、平謝りしながら上手くかわした。 何せ、半年の契約だ。パワハラ上司のように、期限なく、私が泣くまでいびられる訳じゃないし。何より理由あっての事。あと数ヶ月で絶対にさよならだし。

     けれどもモンローちゃんと草間弥生ちゃんに注意しても、ライブハウス事件は忘れた頃に必ず起きた笑 

     そして愛人が怒鳴り込みにきて、私が後から謝りに行くという魔のループ。

    半年契約のはずが・・

     約束の半年が近づいた。良い経験になったし、利益も出たから撤退しようと、大家さんに挨拶をしたら・・・

    「え?半年契約?? そんな事、言いましたっけ??」

    え〜〜〜〜??😱😱言ってないですって?? 

    公正証書も交わしたよね⁉️

    すると、大家さんが笑いながら、経緯を語る。

    「実はですね。お宅の前にDCブランドの古着屋が入っていたでしょう?その男性オーナーが周りと喧嘩してばかりでね・・・出ていってくれ!! とみんなで、そう言ったら、契約違反だ!弁護士呼ぶ!とかなってですね・・・それで、次に入る人は、ちゃんと周りと上手くやっていける人じゃないと、と思ってですね、貴方の様子を観察するために半年契約としたんですよ。上手くやってるようじゃないですか!ぜひ、やってくださいよ。」

    え〜〜〜😱✖️100回😰

     私はみんなに観察されてたの??

     パワハラ上司もお局様も、ここで役に立ってしまった。。 まさかのミラクルであった。

    結局、大繁盛

    「ぽに〜て〜る」のように赤字じゃないから、続けられる。

    そこで、たった、6畳2間の狭い店に、カウンターレジを奥にも置いた。

    そうしないと、万引きは毎日のように起こる。

    私の仕事のうちの1つに万引き犯を捕まえて警察に連れて行く、という仕事も増えた。

     同年代の女の子を捕まえてパトカーに一緒に乗って行くのだけど、自分も犯人?という絵柄だった。

    それでもレジは足りなくて、買取用のカウンターも外のテラスに置いた。

    すぐに年末がきた。昭和天皇が崩御、私は結婚する事になり、何事も1番が好きな私は平成の第1号として結婚届を出そう!と狙っていた。(結局、役所は元旦は休みだったので7日に届を出した)

    年中無休を謳い文句にしてたから、私1人でも営業するつもりでいた。すると、女の子達は働きたい!と言う。

     当時の下北沢の街は店舗はどこも閉まっていて、いつもより穏やかでシーンとしていた。

     正月は基本どこも店は開けないし、なにせ昭和天皇が崩御されたので自粛だ。

    それなのに、、お客様がこれでもか、という程入って来る😱

    あまりの混雑で、身動き取れなくなり危険を感じた私は初めて入り口で制限をかける。1人出ると1人入場!みたいな。

    あまりにも人が来るので、外を覗いたら、行列が出来ている!

    螺旋階段に並び、道路まで続いているようで、驚いた。

    ここから、私の仕事は交通整理も増える。

    結果、初めての正月は100万の売上をあげた。

    その正月で弾みを付けて、ますますお客様が増えるので、バイトは女の子をもう1人雇って、3人体制にした。

    メインのレジと奥のレジと外のテラスに買取用カウンター。

    買取をして、すぐに売れる。まさに右から左。

     私の経営アイディアは大当たり。自分の占いも当たったし、何よりも勘で仕入れた洋服が右から左に、どんどん売れて雑誌にも出るしで人気店となる。

     2件目も出店。

    下北沢の1番栄えている南口。 パチンコ屋の裏の景品交換所だった所が空いていた。ボイラー室なので、狭くて縦に長すぎる。 でも、ココも半年契約だという。その代わり安い。 また、ミラクルが起きないかと、ブロンドザウルスという何故か恐竜の店名で借りてみたけどやはり半年契約で終わり、バイトちゃん1人だけに任せたせいか、売上もイマイチで終わる。

    人生で初めて媚びた日

    学生時代も先生にも誰にも媚びる事をせず卒業。

    会社員時代も渋々お茶出しはしたけど媚びた事はしなかったし、出来なかった。

    そんな私に、遂に媚びないと先が無い!という時がきた。

    私がアパートメントストアにいられると決まったら、階下のアパートメントストアを牛耳ってるボスの三浦和義(似)から提案してきた、アパートメントストアみんなでの飲み会。

     なぜボスなのかというと、ボスが大家さんを説得して、アパートメントストアを作る提案をしたからだった。

     居られる事になった私が断る訳にもいかず、モンローちゃんと草間彌生ちゃんを連れて行く事に。

     そこで、どう見ても、ボスにお酌をしないといけない場面が訪れた。みんなボスにお酌してお礼を言ってる。

     ザルなスタッフ2人が飲めない私に指示する。

    ゆみさん!今ですよ!お酌しないと!

    わかってる。みんなお酌している。

     でも、彼女達がしでかした音の問題と、うちだけ客が並んで迷惑をかけてるので、ボスは内心私に怒っているのは、みんなにも明白。

     だから、私がどう出るのか?

    大注目を受けているのも分かってる。

      思えば、飲めない私は(運転をする関係と下戸なので)ビール瓶を持ってお酌するなど、、

    初めてだった😓😓

     飲みの席はいくらでもあるけれど、みんな自分の分は自分で注ぐし、私にお酌を求められた事は無かったし。

     でも、遅いけどみんなと同じく私もボスにお酌して、

    お世話になっております。これからもどうぞ宜しくお願いします

    と頭を下げるのだ!わかってる。

     こういうのをきっと媚びるというのだ。

     でも今こそ、初めて媚びる時。これからアパートメントストアの仲間として入れて貰うのだ。

    それに、ライブハウス怒鳴り込み事件で隣に座るボスの愛人にも頭を下げなければいけない。

     でも!

    ゆみさん!今ですよ!お酌しないと!

    と、隣で袖を引っ張るモンローちゃんと彌生ちゃん。

    でも、よくよく考えると、元々君達のせいで、さらに下手に回る立場になったのではないか⁉️

     それでも、オーナーの仕事の1つと心得た私は勇気を振り絞って、立ち上がって、慣れない手でビール瓶を持って、、ボスの前に行き、、震える手でビール瓶を傾けて、

    これから、、よろ、、

    と言ったかどうかで、、

    ビール瓶は手から滑り落ち、、

    ガチャーン❣️

    と、見事にボスの目の前の御膳をメチャクチャにして、そしてボスと隣の愛人の衣服も汚れた。

    みんなの時間は止まった。

    見よう見まねでした初めてのお酌だった。

    その後の事は記憶にない。

     結局、私はお茶汲みも苦手だったように、お酌も苦手

     

    自分がお洒落するくらいなら、お客様に喜んでもらいたい!けれど相変わらず車だけはこだわって、乗り換えていたけど。赤いポルシェに乗る夢は密かに持っていて、少しづつバージョンアップしていた。 そして、遂に7年後、購入できる事になり、ポルシェを試乗したら、、、あまりの出だしの速さに驚いて、赤いベンツになった。。

    結婚して大型店舗を出店する

    平成になった1月初日。経営に協力してくれた4つ上のRockなアメカジの人と結婚。もちろんハネムーンは何度目かのロスに買い付け。

    実は1度目の初バイヤーの直後に、付き合ってた今の夫と、その友達の男が、ロスに連れて行って欲しい!と懇願されて、3人旅をした事がある。 2人ともアメリカで運転が出来ず、私が運転して全て案内した。 その時の夫の友達が、今でも現在な渋谷の有名店。 ヌードトランプの社長。

     夫とは、今までのアメリカでのバイヤーの経験を通じて、vintageの持つ魅力を多くの人と共有したいという強い思いが生まれる。そして、夫はサラリーマン勤めを辞めて一緒に、高円寺にアメカジの古着屋を出す事に。 ロック、ロカビリー、アメカジをテーマにした、リーバイスなど、50sなお店。

     そのお店は、自分達で内装をした。そして初日から何故か行列が出来る店舗に!

     

    アパートメントストアが嫌になる

    嫌になった理由のトップから。

    1、スタッフの管理が大変になり、イザコザもしょっちゅう。遂には、集団で辞められた。2才程しか変わらない私とバイトちゃん達。良かれと思ってした事がアダになる

    2、アパートメントストアという共同体に嫌気がさした。なにせ、みんなに合わせなければいけない。電気工事をするにも、7人の意見が合わないから工事も出来ず、プレーカーが夕方になると落ちてしまう。暗いと万引きも増える。

    3.家賃が毎年値上がりして、ついには3年後には倍の30万近くを提示された。  

    下北沢や高円寺にさまざまなテーマを持つ古着を中心とするヴィンテージショップを次々と運営することにしました。1988年頃からでした。当時、内装にも人にもお金をかけ、力を入れた大きな古着屋としては初めての試みでした。 一番多い時は、スタッフ10名、店舗4店舗。 同時に、アメリカの洒落た古着屋との出会いも私にとって大きな転機となりました。ニューヨークやロサンゼルスの街角で見つけた小さな古着屋は、まるで宝探しをするかのような興奮を与えてくれました。そこには、時代を超えて愛されるヴィンテージアイテムが並んでおり、一つ一つに独自のストーリーがあることに気づかされました。特に、70年代や80年代のアイテムには、その時代特有のエネルギーとスタイルが宿っており、ただの服ではなく、時代を超えるアート作品のように感じました。 これらの経験を通じて、私はヴィンテージアイテムの持つ力に魅了され、自分自身もその魅力を他の人々と共有したいと強く思うようになりました。そして、自分の手で選び抜いたアイテムを通じて、顧客に新たなスタイルを提供し、同時にそのアイテムが持つ歴史や物語を伝えたいという熱意が生まれました。ビンテージショップを開くことで、ただのファッションとしてではなく、文化や歴史、そして個々のライフスタイルに寄り添った提案をしていきたいと考えています。 ビンテージショップを通じて、人々が新しい価値観やスタイルを発見し、自分自身を表現するための手助けをしたい。その思いが、私がビンテージショップを開く原動力となっています。

    FavoriteLoadingお気に入りに入れる

    Translate »
    Verified by MonsterInsights