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    ジバンシィ(Givenchy)の年表

    1927年
    ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)がフランスのボーヴェで生まれる。父は貴族家系の出身で侯爵の称号を持つ。幼少期から芸術やデザインに興味を持ち、ファッションに強い憧れを抱く。特に、スペイン出身のデザイナー、クリストバル・バレンシアガに影響を受け、ファッションの道を目指すようになる。

    1944年
    17歳でパリに移り、ファッション界に足を踏み入れる。まず、ロベール・ピゲ(Robert Piguet)のメゾンで修行を積み、さらにジャック・ファット(Jacques Fath)のもとで経験を積む。これらの一流メゾンでの経験が、後の彼のデザインスタイルに大きな影響を与える。

    1946年
    ユベールはエルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)のメゾンに入り、モデリスト兼主任として活躍。ここでの経験により、ジバンシィのデザインはエレガントかつ革新的なスタイルへと発展する。スキャパレリの独特なクリエイティビティや大胆なアプローチは、ジバンシィにとって重要なインスピレーション源となった。

    1950年以前
    ジバンシィは若くして一流メゾンでの経験を積み、独立への準備を進める。この時期の彼は、クラシックなエレガンスとモダンな感性を融合させる独自のデザイン哲学を確立しつつあった。

    1951年 初のコレクションを発表、資金の問題もありシンプルなコットンを素材のドレスやブラウスを発表した。開襟の「べッティーナ・ブラウス」「セパレート」、ワイシャツ地 で作られたドレスを発表し、その前衛的な感覚が衝撃を与え24歳で「モードの」神童と呼ばれる。

    1952年 自身のブランドジバンシーを設立

    1954年 ジバンシィの象徴的存在であるオードリー・ヘップバーンの映画衣装を手がける。「麗しのサブリナ」、「昼下がりの情事」、「パリの恋人」、「ティファニーで朝食 を」、「シャレード」、「パリで一緒に」、「おしゃれ泥棒」、「華麗なる相続人」など多くの衣装を担当。

    1955年 「自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。

    1956年 レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。

    1957年 パルファム・ジバンシィ設立。初のフレグランス「De」発売。61年にはメンズ・フレグランスもスタートする。ジバンシイの香水「ランテル ディ」は、ヘップバーンが「私以外は使わないように」と語ったことから「ランテルティ(禁止)」と名づけられた。

    1968年 プレタポルテの 「ジバンシィ・ヌーベル・ブティック」を開設。インテリア、香水など多くの部門を持ち、78年にはデ・ドール(金の指ぬき)賞受賞(82年に2回目のテ・ ドール賞受賞)

    この頃、三宅一生がジバンシイのアシスタントになる。

    1973年 メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。

    1988年 前年にパルファム・ジバンシイに続き、LVMHがジバンシィ・クチュールを買収。

    1990年 初のメンズブティックオープン。

    1993年 アクセサリー、ホームライン開始。

    1995年 秋冬オートクチュールコレクションをもってジバンシィは引退。

    その後、LVMHの実験を握ったベルナールアルノーがジョンガリアーノをデザイナーに抜擢。

    1996年 ジョンガリアーノがディオールのデザイナーに、ジバンシィの後任にはロンドンニューウェーブの先駆者として「アンファンテリブル(悪魔の申し子)」と呼ばれたアレクサンダーマックイーンが就任した。

    2000年 マックイーンがメンズラインも手掛ける。彼の優れたカッティング技術は話題になり、ジバンシィは再び盛り上がり見せた。一方でジバンシィらしさがなくなったとの批判の声も上がり、マックイーンは自社株の大半をグッチグループに売却。これを機にLVMHグループとの関係が悪化、ジバンシィを離れることになった。

    2001-2002 A/Wより、ジュリアンマクドナルドがオートクチュールとプレタポルテの4代目の主任デザイナーに就任。ユベール・ド・ジバンシィとオードリー・ ヘップバーンの頃のジバンシィを回想するようなショーを開催。かつての名作を再現したコレクション内容だった。

    2003年 新フレグランス 「ヴェリィ イレジスティブル ジバンシィ」発売。キャンペーンモデルはリヴ・タイラー。これをきっかけに2004年春夏から、ブランド全体のキャンペーンモデルをリヴ・タイラーが務める。ジバンシィのメンズウェアラインのクリエイティヴディレクターにオズワルドボーテングが就任。

    2005-2006A/Wより リカルド ティッシがレディースウェアラインのクリエイティヴディレクターを務める。現在はティッシがメンズ、レディースともに手がけている。

    2008年 マドンナがワールドツアーにてジバンシィのドレスを着用

    リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)が引き続きジバンシィのクリエイティブ・ディレクターとして活躍。この時期、ティッシはジバンシィにゴシックなエレガンスとストリートウェアの要素を融合させた独特なスタイルを確立。ジバンシィはモダンでダークな美学を取り入れ、若年層からの支持を集める。

    2011年 リカルド・ティッシは、ジバンシィのメンズウェアライン「Givenchy Homme」をさらに進化させる。彼のデザインは、ストリートと高級ファッションの融合を特徴とし、特にセレブリティやアーティストの間で大きな人気を博す。

    2012年 ジバンシィは、アーティスティックな方向性と前衛的なデザインを融合させた新しいコレクションを発表。特に、レザーやエンボス加工を用いたアイテムが注目を集め、ジバンシィのクチュールとストリートウェアのバランスがさらに強化される。

    2015年 リカルド・ティッシによるジバンシィのコレクションがニューヨーク・ファッション・ウィークで初めて発表される。このコレクションは、ブランドの国際的なプレゼンスをさらに強化し、ニューヨークでの影響力を拡大。

    2017年 リカルド・ティッシがジバンシィを退任。彼の在任中、ジバンシィは新たな美学とファッションの潮流を生み出し、ブランドの人気は世界的に広がった。ティッシの退任後、ジバンシィのクリエイティブ・ディレクターには、クロエのデザイナーであったクレア・ワイト・ケラー(Clare Waight Keller)が就任。彼女はジバンシィ初の女性クリエイティブ・ディレクターとなる。

    2018年 クレア・ワイト・ケラーは、イギリス王室のヘンリー王子(ハリー王子)とメーガン・マークルの結婚式で、メーガンのウェディングドレスをデザイン。シンプルでエレガントなドレスは世界中で話題となり、ジバンシィの名声をさらに高める。このドレスは、クレアのミニマルで洗練されたデザインスタイルを象徴するものとなる。

    2020年 クレア・ワイト・ケラーがジバンシィを退任。彼女の後任として、マシュー・M・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)がクリエイティブ・ディレクターに就任。ウィリアムズは、アリクス(1017 ALYX 9SM)での経験を活かし、テクニカルで革新的なデザインをジバンシィに持ち込む。彼のアプローチは、機能性とラグジュアリーを融合させた現代的なスタイルを特徴とする。

    2021年 マシュー・M・ウィリアムズによる初のコレクションが発表され、ジバンシィは大胆で前衛的なデザインへとシフト。特に、ストリートウェアの要素とラグジュアリーを融合させたスタイルが注目を集め、次世代のファッション愛好家から支持を受ける。

    2022年 ジバンシィは、サステナビリティへの取り組みを強化し、再生可能素材を使用したコレクションを発表。ブランドの環境に対する責任を重視し、持続可能なファッションのトレンドを牽引している。

    2023年 マシュー・M・ウィリアムズの指導のもと、ジバンシィはさらに進化し、デジタルファッションショーやオンライン販売に力を入れる。特にバーチャル技術を使った新しい顧客体験が注目され、ブランドのデジタル戦略が強化される。

    2024年 ジバンシィは引き続き、マシュー・M・ウィリアムズのクリエイティブビジョンのもとで、現代的なラグジュアリーと機能性を融合したデザインを展開。ブランドは、デジタル技術とサステナビリティの分野でもリーダーシップを発揮し続け、グローバルな影響力をさらに拡大している。

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