初の古着屋経営は1年も悩む
古着屋経営のオファー
宝島社からの編集長としてのオファーがあって。
まさかの事態に悩んでるそんなある時、
「ぽに〜て〜る」の仕事を通して仲良くなった友達から、
下北沢で古着屋をやらない?
という突然のお誘いがあった。
彼女は渋谷でDCブランドのオシャレな古着屋を持つ唯一、同年代、同性の今でも交友のある女友達。
彼女は、面白い事に渋谷でしかお店はやりたくないの、だから下北沢は興味ないの!とキッパリと言い切る。
その物件の条件を聞くと
「場所は下北沢西口3分といっても割とひっそりとした方面で、鎌倉通りから奥まった位置にあり、看板しか見えない建物の、さらに細い螺旋階段を上がった2階。」
「建物は、木造の50年は経過しているボロボロアパート。それを上手く改装して7件の店舗を入れていて、そのうち六畳を縦に並べてる空き店舗を貸す。」
「半年契約でその後、絶対に出ていってもらう。その契約書は公正証書を作りサインを貰う」
「代わりに保証金等一切ない、前家賃15万円のみで良い」
正社員の宝島の編集長と、リスクのある古着屋経営。条件だけ比較すると、今考えても古着屋経営は最悪中の最悪。普通は選ばない。
半年しか出来ないなんて❣️
今考えても、アパートメントストアの条件悪すぎる💦
伝説の下北アパートメントストア
半年ほど経過しても、宝島社からもまだオファーはあり。
そして、アパートメントストアの入り手も決まらないと、何度目かのオファーが入る。
#アパートメントストアはゆくゆく、古着やビンテージ文化集合体の発祥として伝説を残した。
そこで、まずは見に行く事にした。
宝島社ではなく、下北アパートメントストアを。
(2020年頃取り壊し)
初めて下北沢という街に近々、夫になる人と場所を見に行った。電車ではなく、やはり車で。
考えてみたら、私は電車で下北沢を利用した事が数回しかない。
知れば知る程、条件悪過ぎる物件
鎌倉通りという小洒落た通りに面しているのは、2メートル弱の道路だけ。
その狭すぎる路地を5メートル程入った所に建物があるので、
その建物は通りからも駅からも・・・
ほぼ、、な〜んにも、、み、見えない@@
でも!看板は、、ちゃんと見えた!
築50年は経つ古すぎるアパートを6~7件ほどの店舗に造り替えて貸していた。
しかも、細い螺旋階段を登った2階❣️
会社員をやりながら趣味でフリーマーケットに出ていた夫は何故か私よりアパートメントストアの住人を知っていて。
その住人3人も見知っていた。私も1人はアメリカでのバイヤーの時に出会ってた。
三浦和義似のボスの店にあったのは、、
中でも驚いたのは、少し前に夫にお茶を出したら、、
お茶ではなく、カップを気に入られ😱
その場で、全部見せてくれ!箱もあったらみんな買いたい!と、、 懇願されて。
千円でフリーマーケットで買ったから3千円で夫に売った😅ノリタケというメーカーのの急須のセット。
それが12000円という値段が付いていた店があってビックリ!!
千円で私が買ったノリタケセット▶️夫に3千円▶️?円▶️12000円
*私がフリマで買ったノリタケの急須セットはビンテージだったのだ。夫はボスに売っていた。
この急須があった所はアパートメントストア全部を牛耳る大ボスの店で、1番広くて1番良い場所を陣取っていた。
大ボスは、年齢も雰囲気もロス疑惑の三浦和義ソックリのキャラ。
しかも、キツイ物言いをする愛人と経営している。フルハムロードとそっくりな店作りに、愛人ヨシミさんまで、そのキャラが被っていた。
#しかも、後日、刑事事件を起こして私達住人も巻き込まれて報知新聞相手に裁判する、というアクシデントにも巻き込まれる。
そのボスの店の真上の、半分以下のスペース6坪(12畳)の店舗が空いていた。DCブランドの古着屋が入っていたけど撤退していて、しばらく誰も借り手がいなくて困っているという。
大家さんに中を見せて貰うと、
木造アパートを改装したので、6畳の部屋が縦に並んでいて、剥き出しの柱が真ん中に4本立っている状態。 トイレは建物に1つだけの男女共有の狭すぎる和式。
大家さんとの面談
50歳程の男の大家さんと初めての顔合わせとなる。
大家さんの話をまとめると。
この物件は親から相続した。けれども建築基準法で接道が2メートル以下の道路の場合は再建築が出来ない。困ってた所に三浦和義似の大ボスがアイデアを出して店舗の形にして上手く店舗を幾つかにして、貸し出していた。
ただ、隣のビルの大家さん(店としては、アンナミラーズとジーンズメイト)からほんの数10cmの土地を購入出来れば再建築が可能なので、交渉中。
だから、契約の時には半年契約とさせて貰う、という条件を最初から何度も念押しされた。
しかも、公証役場まで行き証書を交わすと厳しく言われる。
条件だけ聞くと、今考えても、最悪だった。
しかも!私達が下見に行った時、お客様らしき人の姿は見えず😓
その代わり、前家賃1ヶ月の15万だけで良い。保証金も敷金も必要なし。
他に、前に借りていたオーナーがDCブランドの古着屋をやっていたせいか、そんなに内装にお金をかけなくても使えそうだった。
でも冷静に見ても、最後の2つの条件以外は最悪↘︎
個性的というよりトンがった人しかいない。
試着室も隣のRockな新品の服の店と共有。
その30歳前後の男性店長は、いつも大きなヘッドホンをかけてピストルズなどのイギリスRockワールドに入っていた。
近々夫になる人と、Rockも年齢も背格好も似てるのに、正反対なキャラ。
*イギリスRockとアメリカンRockの違い?
いつも不機嫌な感じで愛想が全くないどころか、挨拶しても返さない。
#結局最後まで会話らしい会話もせず終わったけど、最後はうちの店長と恋仲になり、うちが退去した後うちを借りたというオチがついた。
でも、会社勤めの時のパワハラ上司より私を虐めないだけマシだった。
他にも個性あふれるオーナーのオンパレード。
ヒッピーもいれば、メキシカンもいるし、全員男性店長😓
思えば、あの頃の下北沢という街は何もかもトンがっていた。
でも、私は、違和感はない。
中学・高校生の時からトンがり仲間はいたし、HONDAチームやライダーとの出会い、[ぽに〜て〜る]という荒波に「アメリカのミラクル旅」やら、沢山のミラクルの中で、変人との関わりはもう免疫が出来上がっていた。(変人は私だと周りには言われるが😨)
逆に通常の会社員は身の回りに将来の夫しかいない環境だった💦
が!その中に、夫の知り合いやバイヤー仲間もいて、全く知らない人ばかりでなかったのが不幸中の幸いだった。
同時にお呼びがかかった宝島での編集長=正社員への道。悩んだけれど、お茶汲み問題のアレルギーがあるので、自分で何かをやるしか道はなかった。
結婚して専業主婦という道は全く望んでなかった。
好き❤️を仕事にする。そこはブレなかった。
自分を実験台に。
古着屋を始めるにあたって、もちろん悩んだ。そんなにお金もない。50万もなかったし。親にも頼りたくない。
どちらかといえば、今のままバイヤー業だけでも食べられたし、すでに高円寺に住んでいた私は、借りたアパートの前の駐車場と1室でガレージセールもしながら気ままに生きていた。
気ままな生活に慣れてきていて、実は古着屋をやろうとまでは考えていなかった。
なぜなら「ぽに〜て〜る」で知り合った古着屋オーナーさん達は、私が配本で店に行くたび、
売れない、売れない🥲🥲
と愚痴や相談を受けてばかりいたからだ。
そして、私は立地とオーナーさんの個性などから、思いつく限りのアドバイスを偉そうにしていた。
私だったらこうする、というアイディアを丁寧に説明する。
女性の視点からの店づくりを提案したかった。まだ世の中的に汚いイメージの古着屋をアメリカのように、オシャレで明るく楽しいイメージしたかった。
その中に「ぽに〜て〜る」への広告を出す事も提案するから広告も取れる。なにせ5000円程の広告。自分なら悩む事なく出す。そしてその広告作りも私がやってあげるのだ。安過ぎる。 けれども、広告5000円は出すけれど、他の私からのアドバイスは斬新過ぎるのか?何も行動しない。
だから、挙句、廃業する、というのをこの目で何件も見てきた。 そこに歯痒さを感じていた。
何で私のアイディア通りに動かないのだろう?
その私の斬新?かもしれないアイディアで古着屋をやってみようか?
他人にアドバイスするなら、まずは自分がやれば良い。
悩みに悩んで占いにも行く
それでもまだ悩んだので、当たると評判の占いに行く事にした。
全て話してタロット占いをしてもらったら、当時はもう高円寺の住人になっていた私。下北沢のある東南の方向はダメ!辞めなさい! と出てしまう。
私は念のため、タロット占いを勉強して、自分で自分を占ってみた。 すると吉と出る。
悩んだ挙句、自分を信じる事にした。
それに失敗しても、経験だし、どうせ半年しか出来ないのだから、と、ダメ元で借りる事にした。
声がかかってから1年は経過していた。
悩んだ挙句に思い切った。
好きなファッション=古き良き物に命を賭けよう!
なんて、本物のライダーには失礼だけど。
好きな事に一瞬でも賭けてみよう!と。
家賃15万に内装費なら、30万の貯金でなんとかなる。。かな?と。
またまた宝島社、そしてアパートメントストアからのお誘いがあり、そして決めた。古着屋経営を。
1年はかかりすぎ😓

