• Rococoは全国送料無料!返品もOK♪

  • 古着屋経営はミラクルの連続

    owner

    伝説の下北アパートメントストア

    [ぽに〜て〜る]という雑誌を作っていた時に出会った、友達から紹介された、下北アパートメントストア。

    初めて下北沢という街に行き、1年後に夫になる人と場所を見に行った。

     夫は私よりアパートメントストアを知っていて、店長もバイトの子とも3人も仲良くなっていた。

     自分は会社員は辞めずバイヤーは副業でやってく事は変わらないのに、私に店をやらせようとする。

    そこは、下北沢駅の西口から3分程。

    (2020年頃取り壊し)

     鎌倉通りという小洒落た通りに面しているのは、2メートル弱の道路だけ。その路地を5メートル程入った所にあるので、

    その建物は通りからも駅からも

    ほぼ、、な〜んにも、、み、見えない@@

    でも!看板は、、見えた!

    築50年は経つ古すぎるアパートを6~7件ほどの店舗に無理に造り替えて貸していた。

    しかも、小さくて細い螺旋階段を登った2階。

    木造アパートを改装したので、6畳の部屋が縦に並んでいて木造の柱は抜けず、そのまま、剥き出しの柱があちこちに立っている状態。 トイレは建物に1つだけの男女共有の和式。

    大家さんは親から相続したけれど、建築基準法で接道が2メートル以下の道路の場合は再建築が出来ないので、苦肉の策で店舗の形にして貸し出していた。

     ただ、隣の敷地の大家さん(店はアンナミラーズとジーンズメイト)からほんの数10cmの土地を分けて貰えれば再建築が可能なので、交渉中。

    だから、契約の時には半年契約とさせて貰う、という条件を最初から言われていた。

     しかも、公証役場まで行き証書を交わすと厳しく言われる。

    条件だけ聞くと、今考えても、最悪だ。

     その代わり、前家賃1ヶ月の15万だけで良い。保証金も敷金も、要らない

     他に、前に借りていたオーナーがDCブランドの古着屋をやっていたせいか、そんなに内装にお金をかけなくても使えそうだった。

    最後の2つの条件以外は最悪↘︎

     試着室も隣のRockな新品の服の店と共有。

     その男性店長は、いつも大きなヘッドホンをかけてRockを聴いてRockワールドに入っていた。

     約1年後に夫になる人と、Rockも年齢も背格好も似てるのに、全然違うキャラ。

    *イギリスRockとアメリカンRockの違い?

     不機嫌な感じで愛想が全くないどころか、挨拶しても返さない。

       結局最後まで会話らしい会話もせず終わったけど、最後はうちの店長と恋仲になり、うちが退去した後うちを借りたというオチがついた。

    でも、会社勤めの時のパワハラ上司より私を虐めないだけマシだった。

     アパートメントストアを仕切ってる番長は、真下のレトロな雑貨を売る店。年齢も雰囲気も三浦和義ソックリでキツイ物言いをする愛人と経営している。フルハムロードとそっくりな店作りに、愛人ヨシミさんまで、そのキャラが似ている。

     でも、将来の夫の卸先🟰仲良しだった。

     他にも個性あふれるオーナーのオンパレード。ヒッピーもいれば、メキシカンもいるし、全員男性店長😓

     が!その中に、夫の知り合いやバイヤー仲間もいて、全く知らない人ばかりでなかったのが不幸中の幸いだった。

     それよりも、アメリカに何度か行ってる間に、自由人とは波長が合う事はわかった。

     同時にお呼びがかかった宝島での編集長=正社員への道。悩んだけれど、お茶汲み問題のアレルギーがあるので、自分で何かをやるしか道はなかった。

    →起業のきっかけ< 初代前レースクイーン?>

    悩みに悩んで占いにも行く

    古着屋を始めるにあたって、もちろん悩んだ。 どちらかといえば、今のままバイヤー業だけでも食べられたし、実は古着屋をやろうと思った事が一度も無かった。

     なぜなら「ぽに〜て〜る」で知り合った古着屋オーナーさん達は、売れなくて売れなくて、配本で店に行くたびに愚痴や相談を受けてばかりいたからだ。

     そして、私は立地とオーナーさんの個性などから、思いつく限りのアドバイスを偉そうにしていた。 私だったらこうする、というアイディアを丁寧に説明する。その中に「ぽに〜て〜る」への広告を出す事も提案するから広告も取れる。なにせ5000円程の広告。自分なら悩む事なく出す。そしてその広告作りも私がやってあげるのだ。安過ぎる。 けれども、広告5000円は出すけれど、他の私からのアドバイスは斬新過ぎるのか?何も行動しない。 だから、挙句、廃業する、というのをこの目で何件も見てきた。 そこに歯痒さを感じていた。

     何で私のアイディア通りに動かないのだろう?

    その私の斬新?かもしれないアイディアで古着屋をやってみようか?

    他人にアドバイスするなら、まずは自分がやれば良い。

    それでもまだ悩んだので、当たると評判の占いに行く事にした。

    全て話してタロット占いをしてもらったら、下北沢のある東南の方向はダメ!辞めなさい! と出てしまう。 私はその時、タロットを勉強して、自分で自分を占ってみた。 すると吉と出る。

     悩んだ挙句、もう失敗しても、経験だし、どうせ半年しか出来ないのだから、と、ダメ元で借りる事にした。15万に内装費ほどなら、貯金でなんとかなる。3〜50万しか貯金はなかったけれど。

    斬新な経営は年中無休から

    取り扱う古着は、当時私がフリーマーケットで売っていた古着、DCブランドやグッチなどのブランド。プラス、アメリカで出会ったVintageの古着。

    そして、私の斬新な経営アイディアを試してみる事にした。

    それは❣️  年中無休の店にする事。

    この時代は、コンビニもファミレスもまだ街に数店舗しか無かった時代。 店舗は休みは当然のように曜日を決めてあるし、臨時休業も当たり前。 だけど私は、お客様の立場になって何事もしたかった。

     だって折角行ったお店が休みだったら、次行きますか?

     そして年中無休を謳い文句にした。

    マリリン!を雇う

    そして、いきなり初めから人を雇う事!コレもオジサン店長には提案していた。

    愛想の悪いオジサンが店にいてもお客様は逃げるだけ。看板娘を雇って、経営者は影の仕事をした方が良い。

    そのアドバイスをすると、人件費がかかるからと、結局みんな行動しなかった。

    でも、私はすぐに実戦する。

    年中無休で経営するのだから私1人じゃ無理だし。

    募集ポスターを通りから1番目立つ看板に貼った。

    看板はマリリンモンロー。その隣に

    アルバイト募集‼️ 時給500円(当時の相場)

    店名は、You -Me

    そしたら、すぐにマリリンモンローの娘みたいな20才の可愛い女の子が来てくれた!当時の私は23頃だから、ほぼ同年代。

    私なんかより魅力があって可愛いし、お客様へのあたりも良い。 何せ、私は、ファッション業界で働いた事もないし、洋服屋で働いた事もない。 だから包装の仕方も知らない。でもモンローちゃんは、ブランド店で働いた経験があった。 早速モンローちゃんに店を任せる。 私は経営者として、一歩引いた所から店造りをしたかった。 いつでもお客様の立場に立って、店造りをしたかった。

    私の仕事は・・

    1お客様に喜んで買って貰うための店の動線やコーディネート。内装もペンキ塗りもトンカチ🔨も何でもやった。

    2車が無いと効率が悪すぎるバイヤー業なので、この部分だけは私でないと出来ない。

    3店を宣伝する広告。チラシを駅で配ったりもした。暇な時間があって愚痴をこぼすなら、バイトを雇って、自分がチラシを配ればいい。

    4「ぽに〜て〜る」の経営を反面教師にした。とにかく、経営者は数字に弱いと先がない。ソロバン、暗算2級ほどは持っていて、なぜか数字だけは強かった私は経理はきちんとした。

      みんなやりたくない裏仕事は私がやる。でも表舞台に立って販売する子は、私なんかより可愛いくて人懐っこい子の方が良い。 人を雇って役を分ける。それが、私がした経営手法だった。

    効果はすぐに現れる

     その経営手法は、すぐに効果が現れた。

     モンローのセンスも素直に取り入れて店作りをした結果、3ヶ月頃から確実に利益が出るようになった。

     DCブランドの古着だけではなく、アメリカから輸入した50s〜70sのツイッギースタイル、サイケデリックや50sのスタイルも評判になる。

     特に、ミニスカートは空前のブームを引き起こす。1日に30枚も50枚も売れた。

     流行を先読みして、長過ぎるスカート時代から短すぎるスカートを置いたら大ヒット!

     イメージはツイッギーのミニスカ。

     可愛い🩷なんて、当時、店員が言うのは失礼な時代だったけど、モンローが言うと何故か売れてしまう。

     ミニスカと可愛い文化の発祥の地だったと思っている。

    個性的な服ほど高く売れる。世はバンドブーム(イカ天が始まる少し前)バンド系の子達が、個性を求めて遠方からも来てくれた。まだ高校生の千秋ちゃんや久本雅美さんも接客して売ったのを覚えている。

    古着屋とライブハウスの融合

     とにかく、スタッフのモンローが個性的でセンス抜群の子なので、彼女の意見もどんどん取り入れる。店で流れる音楽は、モンローが大好きな リンダリンダ〜🎵の「THE BLUE HEARTS」スカなど。勝手に持ってきてはかけている。

      店は繁盛してきたのに、モンローは遅刻欠席が多すぎるので、もう1人雇う事に。(遅刻が学年トップで先生に褒められた私はキツく注意も出来ず💦)

     そして、次にバイトで来たのは、これまた個性あふれる草間彌生の孫娘のような娘だった。

    2人とも20代前半。 彼女が好きなのは、「RCサクセーション」忌野清志郎だ。 私が好きなのは清志郎の恩師の「井上陽水」だけど、どうしても、陽水の曲は場違いだった(苦笑

       そして、私がいない時に、そのRockな音楽をボリューム上げて、、、ついには踊ってしまうのだ😰「屋根裏」という今では下北沢の伝説のライブハウスにも通ってた彼女達は、ライブハウスの友達も大勢集まってきて、店は、どうやらライブハウス状態になってしまったようだ。

     50年も経つボロアパートの構造だから、下のお店には煩かったに違いない。 真下の店舗の三浦和義(似)の愛人が音が煩い!と怒鳴り込んで、クレームが入る。 夫の卸先だったためか?いつも私がいない時に怒鳴り込みに来て、申し訳なさそうにモンローと彌生が私に報告する。

     喧嘩しても仕方がないし、うちが悪い訳だし、、。 会社勤めのパワハラ上司とお局様の経験があったので、その都度、平謝りしながら上手くかわした。

     何せ、半年の契約だ。パワハラ上司のように、期限なく、私が泣くまでいびられる訳じゃないし。何より理由あっての事。あと数ヶ月で絶対にさよならだし。

     けれどもモンローと草間彌生に何度注意しても、ライブハウス事件は必ず起きた(笑 

     そして愛人が私がいない間に怒鳴り込みにきて、私が後から謝りに行くという魔のループ。

    半年契約のはずが・・

     約束の半年が近づいた。良い経験になったし、利益も出たから撤退しよう!と潔ぎよく大家さんに挨拶をしたら・・・

    「え?半年契約?? そんな事、言いましたっけ??」

    え〜〜〜〜??😱😱言ってないですって?? 

    公正証書も交わしたよね⁉️

    すると、大家さんが笑いながら、経緯を語る。

    「実はですね。お宅の前にDCブランドの古着屋が入っていたでしょう?その男性オーナーが周りと喧嘩してばかりでね。出ていってくれ!! とみんなで、そう言ったら、契約違反だ!弁護士呼ぶ!とかなってですね・・・それで、次に入る人は、ちゃんと周りと上手くやっていける人じゃないと、と思ってですね、貴方の様子を観察するために半年契約としたんですよ。上手くやってるようじゃないですか!ぜひ、やってくださいよ。」

    え〜〜〜😱✖️100回😰

     私はみんなに観察されてたの??

     パワハラ上司もお局様も、ここで役に立ってしまった。。 まさかのミラクルであった。

    結局、大繁盛

    「ぽに〜て〜る」のように赤字じゃないから、続けられる。

    そこで、たった、6畳2間の狭い店に、カウンターレジを奥にも置いた。

    そうしないと、万引きは毎日のように起こる。

    私の仕事のうちの1つに万引き犯を捕まえて警察に連れて行く、という仕事も増えた。

     同年代の女の子を捕まえて 大勢が見ている中、パトカーに一緒に乗って行くのだけど、自分も犯人?という絵図だった。

     それでもレジは足りなくて、買取用のカウンターも外のテラスに置いた。

     すぐに年末がきた。昭和天皇が崩御、私は結婚する事になり、何事も1番が好きな私は平成の第1号として結婚届を出そう!と狙っていた。(結局、役所は元旦は休みだったので7日に届を出した)

    年中無休を謳い文句にしてたから、私1人でも営業するつもりでいた。すると、女の子達は時給が多いなら正月も働きたい!と言う。

     当時の下北沢の正月は、店舗はどこも閉まっていて、天皇崩御の為か?いつもより穏やかでシーンとしていた。

     日本の正月は基本どこも店は開けないし、なにせ昭和天皇が崩御されたので自粛だ。

     それなのに、、お客様がこれでもか、という程入って来る😱

     あまりの混雑で、身動き取れなくなり危険を感じた私は初めて入り口で制限をかける。

     1人出ると1人入場!みたいな。

    あまりにも人が来るので、外を覗いたら、行列が出来ている!

    螺旋階段に人が並び、道路まで続いているようで、驚いた。

    ここから、私の仕事は交通整理も増える。

    結果、初めての正月は100万の売上をあげた。

    その正月で弾みを付けて、ますますお客様が増えるので、バイトは女の子をもう1人雇って、3人体制にした。

    メインのレジと奥のレジと外のテラスに買取用カウンター。土日は4人体制。

     商品も、買取をして、すぐに売れる。まさに右から左。

     私の経営アイディアは大当たり。自分の占いも当たったし、何よりも勘で仕入れた洋服が右から左に、どんどん売れて雑誌にも出るしで人気店となる。

     2件目も出店。

    下北沢の1番栄えている南口。 パチンコ屋の裏の景品交換所だった所が空いていた。ボイラー室なので、狭くて縦に長すぎる。 でも、ココも半年契約だという。その代わり家賃も安い。 また、ミラクルが起きないかと、ブロンドザウルスという何故か恐竜の店名で借りてみたけどやはり半年契約で終わり、バイトちゃん1人だけに任せたせいか、売上もイマイチで終わる。

    人生で初めて媚びた日

    学生時代も先生にも誰にも媚びる事をせず卒業。

    会社員時代も渋々お茶出しはしたけど媚びた事はしなかったし、出来なかった。

    そんな私に、遂に媚びないと先が無い!という時がきた。

    私がアパートメントストアにいられると決まったら、階下のアパートメントストアを牛耳ってるボスの三浦和義(似)から提案してきた、アパートメントストアみんなでの飲み会。

     正月明けの事だった。

     なぜボスなのかというと、ボスが大家さんを説得して、アパートメントストアを作る提案をしたからだった。

     居られる事になった私が断る訳にもいかず、3人のスタッフを連れて行く事に。

     そこで、どう見ても、ボスにお酌をしないといけない場面が訪れた。

     みんなボスにお酌してお礼を言ってる。

     ザルなモンローと草間彌生が飲めない私に指示する。

    ゆみさん!今ですよ!お酌しないと!

    わかってる。みんなお酌しているから私もしないといけない。

     でも、彼女達がしでかしたトラブルと、うちだけ客が並んで迷惑をかけてるので、ボスは内心私に怒っているのは、みんなにも明白。

     だから、私がどう出るのか?

    大注目を受けているのも分かってる。

      思えば、飲めない私は(運転をする関係で飲まないのと、下戸なので)ビール瓶を持ってお酌するなど、、

    人生で初めてだった😓😓

     飲みの席は多少は経験あるけれど、みんな自分の分は自分で注ぐし、私にお酌を求められた事は無かったし。

     でも、この場はみんなと同じく私もボスにお酌して、

    お世話になっております。これからもどうぞ宜しくお願いします

    と頭を下げるのだ!

    そして、その隣に鎮座する愛人に、ライブハウス怒鳴り込み事件で頭を下げなければいけない。わかってる。

     こういうのをきっと媚びるというのだ。

     でも今こそ、初めて媚びる時。これからアパートメントストアの仲間として受け入れて貰わなければスタッフ3人の行く当ても無さそうだ。

     でも!

    ゆみさん!今ですよ!お酌しないと!

    と、隣で袖を引っ張るモンローと彌生ちゃん。

     よくよく考えると、元々君達のせいで、さらに下手に回る立場になったのではないか⁉️

     それでも、オーナーの仕事の1つと心得た私は勇気を振り絞って、立ち上がって、慣れない手でビール瓶を持って、、ボスの前に行き、、震える手でビール瓶を傾けて、

    これから、、よろ、、

    と言ったかどうかで、、

    ビール瓶は手から滑り落ち、、

    ガチャーン❣️

    と、見事にボスの目の前の御膳をメチャクチャにして、そしてボスと隣の愛人の衣服も汚れた。

    みんなの時間は止まった。少なくとも私の記憶はそこから無くなった。

    見よう見まねでした初めてのお酌だった。

     結局、私はお茶汲みも苦手だったように、お酌も苦手だった。

    アパートメントストアが嫌になる

    ビール瓶事件があったからではない(笑

     *みんな嫌っていた人だったので、後で、よくやってくれた!と褒められた。しかも、三浦和義ほどではないが、刑事事件を起こしてる人物だったので、みんなそこに巻き込まれて報知新聞相手にやりたくもない裁判をした。

    私が法廷に立った日(執筆中)

    アパートメントストアが嫌になった理由のトップから。

    1、スタッフの管理が大変になり、イザコザもしょっちゅう。モンローと弥生ちゃんまでは良かったのだけれど、3人スタッフ体制になってから喧嘩ばかり。出入りが激しくなり女の園の関係が嫌になる。

     遂には、集団で辞められた。2才程しか変わらない私とバイトちゃん達。良かれと思ってした事がアダになったり。

    2、アパートメントストアという共同体に嫌気がさした。なにせ、みんなに合わせなければいけない。電気工事をするにも、7人の意見が合わないから工事も出来ず、プレーカーが夕方になると落ちてしまう。暗いと万引きも増える。

    3.家賃が毎年値上がりして、ついには3年後には倍の30万近くを提示された。

    古着屋をちゃんとやろう!

     平成になった1月初日。バイヤー仲間の4つ上のRockなアメカジの人と結婚。もちろんハネムーンは何度目かのロスに買い付け。

     夫とは、今までのアメリカでのバイヤーの経験を通じて、Vintageの持つ魅力を多くの人と共有したいという強い思いが生まれていた。

     アパートメントストアはなんとなく試験的にやってみたけど、やりたいお店は違う。もっと広大なアメリカにあるようなオシャレな店構えだった。

     そして、夫は会社勤めを遂に辞めて一緒に高円寺にアメカジの古着屋を出す事に。

    ロック、ロカビリー、ロックンロール、アメカジがテーマ。取り扱いは、リーバイス、スカジャン、ライダース、アロハなど、50sなお店。

     そして60〜70sのVintageブランドやサイケデリックな個性的な女の子物も取り扱う。 

     そのお店は、夫婦で内装をした。工事現場の足場を組んだ。大きなガラス窓の目立つ場所にはピンクの50sのオートバイ。

     そして初日から何故か行列が出来る店舗に!

    当時、高円寺に古着屋は3件ほどしか無かった。

     この店も私の経営手法を取って、年中無休。 

    そして、夫の友達のロカビリーの男の子も雇う。

     この店は、私以外スタッフ全員男性の硬派が売りのロカビリーショップと言われるようになる。

     売れるようになるまで苦労すると思っていたのに、最初から売れてしまい、びっくり。

     アパートメントストアという共同体に嫌気がさしてきた私は、下北沢にもう1件、出そう!という事に。

    そして、、私は、アパートメントストアに見切りをつけて、そのすぐ近くに、店舗を探し始めた。

    1億が3000万のミラクル!

     アパートメントストアが嫌になって、代わりの店舗を下北沢で日々、探していた。

    すぐ近くに間口10メートルはある大きな出来たばかりの建物の1階がず〜っと空いているのに目をつけた。

     ダメ元で貸店舗のチラシにある電話番号に電話して、家賃などを聞いてみた。

     何せ、アパートメントストアは2階の6坪と小さな店舗なのに、30万の家賃になろうとしていた。

     高円寺に借りた店舗は、15坪38万。1階の好立地。

     下北沢はどうなのか?? ここはどうせ高いだろう。鎌倉通りから路地を入っているとはいえ、雰囲気があって良い物件だ。でも勉強のために相場が知りたい。ここなら、高円寺の倍以上の広さがあるから、倍の3000万の保証金はかかるだろうけど、ここなら高くても借りてもいいな。

     だって、アメリカにあったような、日本にはまだない夢のVintageショップが出来るから。

    不動産屋に電話をすると、すぐに来い!と命令調。

    悪い予感はしたけど、その不動産屋は近いので行く事に。

     すると、カンカン帽子を被った年配のずんぐりとしたタヌキ社長が子分3人を従えて真ん中にドンと座っていた。渥美清の寅さん風。

     ニコリともせず、上から目線で私の商売を聞く。

    「え?古着屋?そんなの儲かるの?」

    余計なお世話だ。儲かるからやってる訳でも無い!

    「それでお幾らなんですか?」

    「保証金はね、1億だよ!家賃はね、150万!」

    と言い切った。

     なんだよ・・電話でそう言ってよ。それなら借りられないよ。でも、やっぱり高いから借り手がいなかったんだ。勉強になった。

    「あ、それだと借りられないです」と、

     ムッとして背を向けて帰ろうとしてドアから出ようとすると、

    「あんた! いくらなら借りるの?」

    背後からタヌキ社長。

    「え、、と。。」

    「正直に言ってごらん」

    言ってもいいのかとタヌキを見たら

    「いいよ!言ってごらん」

    そこで正直に言った。

    「3000万です」

    し〜ん・・・

    「家賃は?」

    「100万です」

    「ふざけんなあ!」と激怒。

    おいおい、正直に言えって言ったやん??

     私は、もう、そこでこの話は終わって忘れ去った。。

    はずなのに、、、次の日。タヌキ社長から電話があり、、なんと!

    保証金3000万、家賃も100万で貸すという。

     大家さんが借り手が決まらず痺れを切らしたのだという。

     世の中、何が起きるか分からない。

     ダメ元で言ったらとんでもない結果になったのは、HONDAもそうだった。溝に落ちた私の車。JAFを呼びたいとダメ元で電話をお借りしようとしたら、、HONDAチームに入って人生を変えてしまう。 結構、私には今でも多い経験。

    *世はバブルが弾けていた。高円寺の借りたばかりの店舗のビルのオーナーは土地転がしで失敗して破産して、大家さんが変わった。が! 古着バブルは始まったばかりだった。古着屋は高円寺も下北沢も増える一方だった。

    銀行から借入れ

    かといって、3000万があった訳でも無かった。けれど私の魔の計算方法では、すぐに返せる金額なのだった。

     タヌキ社長は横浜銀行を紹介してくれるという。

     手続きは大変だったけど、ようやく沢山の踏み絵を踏んで、3,000万円を借入出来ることになった。

     父も初めて協力してくれて、保証人になってもらう。

     内装はそのタヌキの工務店に頼むのだから、家賃の発生をもう少し遅くして欲しいと頼んだら却下され、内心、ますますムッとしていた。

     やはり絵になる悪徳不動産屋だった。

     ちなみに、お金に関する事は全部、、、ぜ〜んぶ私の仕事。夫は何もしない。交渉から契約から全て私1人でやらねばならない。

     契約は横浜銀行で全てすると言われた。 3000万円を借りて、そのままタヌキとの契約書に印鑑を押す。 3000万円の取引だけど、現金はない。全て紙面上でやり取りする。

     横浜銀行の下北沢支店の立派で大きな応接室に入った。

     大きな金額だからか、横浜銀行は5人はいた。タヌキは3人の子分をいつも引き連れてくるから4人。 でも、私は1人。 男性の中に私だけ1人女というのも、、もう慣れた。

     沢山の書類にサインと印鑑を押して、最後の書類に印鑑を押せば、今日から家賃が発生して、3000万円の借金も発生する。

     私が、念の為に聞いた。というよりも悪い予感がして聞いてみた。

    「鍵は今日、貰えるのですよね?」

    すると!! タヌキ社長が

    「いや、渡せないですよ」と。

    は??? 今日から家賃が発生するのを今、確認したよね?

    し〜〜〜〜〜〜〜ん

    「あの、、ここにサインを・・」

    横浜銀行のどう見ても平社員が言う。

    「今日から家賃は発生するのですよね? 鍵を貰えないのは変だと思います」

    私は、そう言って、サインをせず、みんなを見据えて固まった。

    し〜〜〜〜〜〜〜ん✖︎10

    もう契約を破棄する事まで考えていた。

    こんな変な話に、横浜銀行の男は5人もいるのに、何もしてくれない。

    タヌキの子分は、それが社長の我儘だと知っている。でもいつも、捩じ伏せてきてしまっているので、そっぽを向いている。

    「あの、、ここにサインを・・」

    アホな横浜銀行の平社員がまたもや私に同じ事を言う。

    私はついに睨み返して、返事もしなかった。

    そこで、ようやく、横浜銀行の上のものが、私を別の部屋に呼び出した。

    部屋に入るなり、

    「変ですよね。。。普通は鍵、渡しますよね・・」と言ってくれた。

    おいおい、変だと思うなら、あの場でタヌキに言ってよ〜〜〜!

    「このままでしたら、契約は破棄します!」

    と、堂々と切り返したら、ようやく、タヌキを説得にかかりに行った。(遅すぎ)

    「ここでお待ちください」

    しばらくしたら、どうやら鍵を私に渡す事で決着がついたらしい。

     鍵を貰い、印鑑を推して、無事に契約は終わった。

    歩3分ほどにある新店舗の様子を見にいく事にした。胸騒ぎがする。

    開けてびっくり!!

    そこには5台ほどの車が並んでいた。

     あまりにも店舗の借り手がいなかったので、駐車場として貸していたらしい。

    激怒して、すぐに出ていってくれるように言ったのは言うまでもない。

    パチンコの花

    たぬきに内装を頼み、それも終わり、開店の前日。

    なんと、タヌキの不動産屋から大きな大きな花が届く。

    それは、、パチンコ屋にあるような花輪。。

    せっかく、アメリカ西海岸より素敵なイメージ通りの豪華内装をしたのに。。

    タヌキ社長は最後まで息もセンスも何もかも合わなかった。

    オープン初日。またまた何も宣伝しなかったのに、行列が出来た。

     

     

     

     

     

    下北沢や高円寺にさまざまなテーマを持つ古着を中心とするヴィンテージショップを次々と運営することにしました。1988年頃からでした。当時、内装にも人にもお金をかけ、力を入れた大きな古着屋としては初めての試みでした。 一番多い時は、スタッフ10名、店舗4店舗。 同時に、アメリカの洒落た古着屋との出会いも私にとって大きな転機となりました。ニューヨークやロサンゼルスの街角で見つけた小さな古着屋は、まるで宝探しをするかのような興奮を与えてくれました。そこには、時代を超えて愛されるヴィンテージアイテムが並んでおり、一つ一つに独自のストーリーがあることに気づかされました。特に、70年代や80年代のアイテムには、その時代特有のエネルギーとスタイルが宿っており、ただの服ではなく、時代を超えるアート作品のように感じました。 これらの経験を通じて、私はヴィンテージアイテムの持つ力に魅了され、自分自身もその魅力を他の人々と共有したいと強く思うようになりました。そして、自分の手で選び抜いたアイテムを通じて、顧客に新たなスタイルを提供し、同時にそのアイテムが持つ歴史や物語を伝えたいという熱意が生まれました。ビンテージショップを開くことで、ただのファッションとしてではなく、文化や歴史、そして個々のライフスタイルに寄り添った提案をしていきたいと考えています。 ビンテージショップを通じて、人々が新しい価値観やスタイルを発見し、自分自身を表現するための手助けをしたい。その思いが、私がビンテージショップを開く原動力となっています。

     

    自分がお洒落するくらいなら、お客様に喜んでもらいたい!けれど相変わらず車だけはこだわって、乗り換えていたけど。赤いポルシェに乗る夢は密かに持っていて、少しづつバージョンアップしていた。 そして、遂に7年後、購入できる事になり、ポルシェを試乗したら、、、あまりの出だしの速さに驚いて、赤いベンツになった。。

     

    FavoriteLoadingお気に入りに入れる

    Translate »
    Verified by MonsterInsights