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  • 起業のきっかけ<日本初?の古着バイヤーになった日!?>

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    20才の頃、自分に全く合わない会社員生活を1年で辞めて

    ▶️起業のきっかけ<初代前レースクイーン?>

    他にも理由があり、実家を離れて東京で一人暮らしをしていた。


     そしてたまに、バイトしていたイギリスアンティークカフェ「カフェ・ル・モンド」

    ▶️企業のきっかけ<AntiqueとVintageとの出会い>

     そのマスターからantiqueのイロハを教えて貰って、代々木のフリーマーケットに出店しながら「ぽに〜て〜る」という奇妙な売ります書います情報誌を作るバイトをしていた。

    ▶️起業のきっかけ<ぽに〜て〜ると華やかな誤算?>

    それは「ロス疑惑」から始まった

     何か起業しよう!というよりも、Antiqueが手に入るヨーロッパに行きたい!と、ぼんやりとTVを見ていたらロス疑惑の三浦和義事件を報道していた。その頃は、毎日がロス疑惑報道だった。
     丁度、三浦和義が経営する代官山のアンティークショップ、フルハムロードが映し出されていた。
     古いけれど小洒落た魅力的な海外の古着やレトロなグッズが所狭しと並んでいた。

     憧れのグッチやディオール柄も見えた。

    そこで、私のミラクルが発動した。
     三浦和義は、ロスアンゼルスのフリーマーケットで買い付けしている最中に奥さんを銃で撃ち殺して自分の足も自分で撃って保険金詐欺をしようとした、と報道している。
    、、と、いう事は、ロスのフリーマーケットに行けばこの素敵な品物が手に入るのね?
     これらの素敵な物はこれから売れる!と確信する。

     その前に自分だけのコレクションにしたい❣️

     なにせ、カフェ・ル・モンドのマスターのようにヨーロッパに本当は今すぐ行きたいけれど円高すぎて周りの友達は誰も行けてない。

     その頃、ドルが安くなってきて、アメリカに注目が集まっていた頃。

     そこで、私は情報を得ようと本屋に行った。今と違ってネットもスマホも無い時代。
     当時は、海外旅行のガイドブックでは、「地球の歩き方」しか無かった。
     早速、厚くて重いロスアンゼルス編を買って隅々までフリーマーケットを探したら、小さい情報として、たった1つだけローズボールと住所が出てきた。

    ロスのミラクルな1人旅

     そこで高校の友達の鈴ちゃんを誘ってロスに行こうとした。

     当時、自由過ぎる高校のためか、トレンドの先端を走っていた高校の仲間は東京に飽きて、海外に目を向けていた。

     私は車関係に行ったけど、同級生達は六本木のディスコ「マハラジャ」などに繰り出していた。(鈴ちゃんは後にロンドンでバイヤーとして育てる事になった)

     そこで鈴ちゃんと、ツアーに入らずロス行きの往復チケットを買って行く事に。

     ツアーに入ってもフリーマーケットのコースなんて無いから。

     海外に行けば、グッチなどハイブランド品が免税店で買える!と。

     でも憧れのヨーロッパもアメリカも高過ぎてなかなか行けない。

     カフェ・ル・モンドのマスターは総額1千万かけて、イギリスで沢山antiqueを買って来て、お店を開いたけれど、奥さんの実家が全額出したものだから、今だに奥さんの実家と揉めてるし。

     しかも飛行機で8時間以上かかる。

     そんな中、円高になってきたからアメリカに思い切って行こうとしたのに・・・

     出発の1週間前に、鈴ちゃんは親の不幸があり行けない事になった!

     悩みに悩んだ末に、キャンセル料を払う位なら!と、1人でも行く事にした。

    海外旅行の経験は、友達との香港、台湾位だった。

     スピード好きな私は飛行機に乗りたくて(笑

    飛行機に乗るだけのために高校1年で友達と北海道旅行も行ったし、後々、セスナも運転した

     でも、アメリカのロスは、今まで行った東南アジアとは違い車文化らしい。しかも8時間かかり、初めての1人旅。。 

     今でも無謀な話だと思うけど、それでも1人でロスに行く。

     ミラクルな事に、空港からカタコトの英語が通じてしまったため、レンタカーを借りて、そのまま目の前の高速道路に乗り、片手に地図を持って見ながら、、

    なんと!迷わずフリーマーケット、ローズボール(現在では1番有名)」に奇跡的に着いた❣️

     オールドグッチを始め掘り出し物を車に大量購入。仕入れ先を確保。1週間滞在の予定がビザを延長して1ヶ月滞在。車でカリフォルニア州を周り、日本にはまだ無かった大箱のオシャレな古着屋巡りと、買付け三昧の楽しい日々を送る。

    ミラクルな走り!

    しかも、日本と違って、左運転ではなく右運転。
     右車線だし、何もかも日本と反対で違う交通ルール。

     車優先社会だから、人なんか道に歩いていないから道も聞けない。

     空港に行くバスも1日1本な程。(帰りに試してみた)
     全ての道路が広すぎて、車も大きすぎて、そして交差点に信号なんかない。


     交差点は規則通りに左から抜けるパターン

     人間よりも車優先社会。 

     ところが、何故かすぐ慣れてスイスイ運転出来た!(日本の道路や交通ルール程、複雑なものは無いと思う)

     カリフォルニアの青い空と広い道路は、私にピッタリとフィットした❣️笑

     国際免許も取って、ある程度、知識は持ってたけど、20才で単独で事故も起こさず、1ヶ月、運転した。まさに奇跡!というか、毎日車に乗って、首都高をグルグルしてた経験がそこで生かされた。

     ローズボールでもカタコトの英語が通じてしまったため、ピピッときた古着やアンティークを沢山買い込んだ。日本人などローズボールに見かけなかった時代。日本にはまだ無いファッションを手に入れた。

    リトル東京との出逢い

     次に宿探し。これもカタコトの英語で何とかなった。というか、日本語が通じる宿を選んだ。
     その宿泊先は、リトル東京のドミトリーホテルと決めていた。
     ここに来れば日本人が多い事までは地球の歩き方で調べていた。
     アメリカでは、ハンバーガーかステーキしか外食が見つからないし、不味いし高いと聞いていたけど、リトル東京の中にあるヤオハンというスーパーに行けばご飯のテイクアウトが安く手に入る。しかも、朝食付きの格安ドミトリーだ。(1人部屋)
     予約までしていなかったけれど、目星を付けてたホテルは予想通り空いていた。

     今思えば、当時こんな所にわざわざ旅行で来る日本人女性はいないと思う。

     そこは今でいう民泊や、ゲストハウスのようなもの。
     そこには何故か長期間住み続けている日本人が沢山いた。というか、ほとんどが、日本人。

     その理由は、、

     リトル東京の歴史を辿ると、アメリカの中の日本人村として移住して栄えた街なので、元々ここに住んでいた人の祖先。

     国内の有名大学に落ちたため、小さな語学学校なのに、海外の大学?に行ってる風に見せかけてるお嬢様(金持ちの唯一の同性)

     なんだか怪しい仕事をしてる人

     ビザが切れたため日本に帰れない人(バイヤー仲間もこうなった人もいた)

     そんな感じの住人なので、私のantiqueを集める!という目標は、みんな興味津々で、色んな事を教えて貰え、そして沢山の協力を貰えた。

     フリーマーケット情報も、古着屋情報も。
    そして、現地で発行していた日本語新聞も教えて貰った。そこに山ほどのガレージセール情報があった。

     家の前で売り買いするガレージセールはアメリカやヨーロッパではごく普通に行われている。

     ロスだけではなく、サンフランシスコ、サンタモニカなどカリフォルニア州の広大な道を毎日、車で走る日々。道路が広すぎて2〜3車線はあるから100キロ以上出しても咎められないし捕まらない。私にとって天国だった。

     そして、走っていると、家の前でガレージセールをしているのを見つけて掘り出し物を見つける。

    アメリカの古着との出逢い

     そして日本には無い大型のオシャレな古着屋が沢山あった。店も駐車場も巨大で、日本とは違い天井も何もかも3倍はある。

     古着も靴もバッグも日本円で100〜500円程で大量に並べられていて、その1つ1つが奇抜で斬新なデザインだった。

     50年代からの敗戦国日本には無かった贅沢で優雅なファッションがそこには沢山あった。

     50s フィフティズ ロカビリー〜

     60s ツイギー〜

     70s サイケデリック〜

     後々に開く大型店舗のヒントになる。

     日本で「ぽに〜て〜る」やフリーマーケットで知り合ったバイヤーの人とも連絡先を交換してたので、連絡して会う事が出来た。奥さんと男の子連れの人もいた。

     みんな雑誌ぽに〜て〜るが好きで、私も車好きなので、通じてしまう。

     また反対にそこで知り合ったバイヤーさんと連絡先を交換したり。

    アメ車達との出逢い

     アメリカは、何でも大きかった。ステーキも2〜3倍。マクドナルドのハンバーガーも2〜3倍の大きさ。コーラは3倍はある量。

     家も大きいし庭も駐車スペースも日本の何倍も広い。

    天井も2〜3倍の高さ、人も巨人。

     道路も2倍、車も大きすぎた😱

      そして、アメリカの西海岸は車好きが集まってきていた。しかも、日本で見たことも無い大型なアメ車やバイクのハーレーダビッドソンなどに乗っている。

    Los Angeles, California, USA, 1965. Cars on a highway in Greater Los Angeles.

      今度は速さではなく、カスタムする事でもなく、大きさを競う車人間の集団との出逢い。

     当たり前に好き❤️を仕事にしてて、日本で店を持つ人もいたり、レトロなアメ車や、その部品などを日本に輸入してたり。ついでにグッズ(時計やジュエリー、家具やバイク用品)のバイヤーもしていたり。

     そして古き良き物、お宝の掘り出し物が大好きで。どうやって入手したかを誇らしげに語り合う。

     それだけでは無く、失敗談も豪快だった。

    例えば、、唯一の女性がいる男の子連れの家族のお話し。

     ハワイに買い付けに行った時に、海辺で自分のお店の名刺、「パールハーバー」をアメリカ人に渡したら、突然怒り出して、追いかけ回された、とか。

     それはそうだ。戦争とはいえ、日本はハワイのパールハーバーを攻撃したのだから。その人は家族を失ったのかもしれないのだ。

     だから、彼等にとって歴史や文化や社会の情報も敏感に常日頃から知っておかねばならない。

     そして、彼らは古着、特にレディースには興味がなかったので、私の集めている古着の情報を惜しみなく提供してくれたしマーケットも連れて行ってくれた。

     彼等にとっては、

    ・・・そんな女物の古着なら、あそこに行けば1ドル位で大量にあるよ!

     という話だった。

     みんな、車の運転と広い道路と青い空が好きで、日本の窮屈さを嫌う自由な人間ばかりだった。

     そして、燃費が悪すぎたアメ車の燃費をすぐ計算出来る特技を買われた。みんな計算は苦手だった。

     あと2時間ももたないから、この先のガソリンスタンドで給油した方がいい、とか。

    #今になって調べてみると、90年代に入り日本でアメ車ブームが始まったので、彼等が火付け役の先駆けでした。

     1台の大型アメ車で、ハリウッドに行ったり。

     少し遠いサンタモニカまで遠征したり、片道8時間かけて、サンフランシスコに行って買い付けしたり。宿泊せず順番で運転して帰ってきたり。

     メキシコの国境では、移民、難民などで、ごった返しているので、アンティークが安く買い叩かれてると聞いては、これも8時間かけてそこまでみんなで車で行ったりと。

     どうやら、社会の流れや動きを読み、民俗大移動で手放すだろうお宝を安く買い叩きに行くのが彼ら流。未来を予測して何処に何が流れてゆくのかを想像してアメ車で向かうのだ。

     私はお金が無くなれば、紹介された日本人経営の寿司屋でバイトしたり、そこの日本人オーナーのホームステイしたり。

     オマケだけど、ラスベガスのカジノに砂漠の中を真っ直ぐ車で8時間もかけて遊びに行ったり。(スロットで10万円当てた仲間がいた)

     私もどこまで行っても砂漠とサボテンばかりの砂漠を1時間運転出来たり。

     何よりバイヤーの繋がりも出来た。

     1週間滞在の予定が、楽し過ぎてビザを延長して1ヶ月滞在となっていた。仲間の1つ下の男の子は、楽し過ぎて、ビザが切れてしまい、、

     永遠に日本に戻れなくなり、、

     そして現地バイヤーとなる人も出た、ほど💦

    まさかの初のバイヤーに?!

    その後、アメリカで買い付けた品物を代々木のフリーマーケットで売ったら、なんと!1日で10万の売上❣️

     他にも「ぽに〜て〜る」で知り合った店のオーナーに売っら、すぐにアメリカに行った分の利益が出た!

     すると、フリーマーケット仲間だった、アメカジな当時付き合ってた夫と、その友達の現在は渋谷の古着屋ヌードトランプの経営者の松ちゃんにアメリカに連れて行って欲しいと懇願されて、、

     3人旅の珍道中をする事となる。

    ヌードトランプの松っちゃん⬇️

    *この動画の中で松ちゃんが、アメリカにバイヤーで行ったのは自分が初めてだと豪語しているけど(笑 ・・という事は、私が初めて古着バイヤー人間だというコトなのかな???

     2人とも私より3〜4歳年上で、しかも日本で車を運転していたのに、アメリカで運転が出来ず。

     交差点で何度も車線を間違えて入り、映画に出てくるカーアクションのように衝突しそうになる。

     結局、身の危険を感じた私は1日目から全て運転して案内した。

    *3人の珍道中は珍道中すぎて長くなるので割愛。

    そこから私は海外を行き来するバイヤーとなる。

     2年後、ドルが240円前後だったのに、160円台に下がった。その頃、古着屋開業をしていて、絶好の仕入れのタイミングを得る。

     ここからが古着バブルに入る。松ちゃんも古着屋ヌードトランプを高円寺に出していた。

     思い返すと、ロス疑惑事件から、まさかのバイヤーとなっていた。

     当時はバイヤーなんていう名称がなかったけれど、今でいうバイヤーになった。

     バイヤーになる事を強く望んだ訳ではない。成り行きだった。

     会社員は2度ど嫌だ!という思いと、ファッションと運転が好きで、好きな事をしただけだった。

     まだ、下北沢にも高円寺にも古着屋は数店舗という時代で、友達も含めて、古着に抵抗のある人達が多数の時代背景だった。


    ▶️owner Yumiヒストリー

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